必要なのは青い鳥ではない(仮題)

毎年恒例の年頭所感ですが、、、昨年大晦日の夜、インフルエンザに罹患し、ようやく今日から正常復活しまして、まだ一行も書けていません! 今しばらくお時間を下さい。
今年の所感のテーマは「本当に必要なものは青い鳥ではない」です。メーテルリンクの青い鳥を、「幸せのメソッド」の視点からあの本のメッセージを説明しようと思います。おそらく多くの人が、あの本の伝えたかったことを、表面的にしか理解していなかったと気付かされると思います。(ただいまの時刻=24/1/3 20:55)


素晴らしき世界

I see trees of green, red roses too.
I see them bloom, for me and you.
And I think to myself, what a wonderful world.
Lyrics from “What a wonderful world”

緑の木々 赤い薔薇
みんな輝いている 僕と君のために
僕は思う なんて素晴らしい世界なんだ
(訳:永久保 昇治)

11月下旬、日本三名瀑のひとつ「袋田の滝」の紅葉を見に行った。私が住む松戸から片道およそ150㎞、3時間弱の距離もあったこと、紅葉の時期だけの特別ライトアップもあるということから、滝近くの旅館に一泊した。もう1、2週間早ければもっと鮮やかな紅葉を楽しめたのであろうが、来る時期がちょっと遅かった。少し寂しい「袋田の滝」の紅葉だった。

翌朝、「袋田の滝」巡りの使命を果たした私は、日立市にある大甕神社へ向かった。創祀は紀元前660年と極めて歴史の古い、近年は新海誠監督の大ヒット映画『君の名は』のスピンオフ小説に登場したことで注目が集まっている神社である。

大子町から常陸太田市をつなぐ県道33号を南下した。この県道33号は、その途中に月待の滝、竜神大吊橋といずれも紅葉の名所があり、この時期、紅葉狩り客で休日は渋滞するそうだ。だがその日は平日ということもあって、気持ち良いくらいに車の流れは良かった。しかし気持ち良いのは流れだけでなかった。この道路を走っていると、その両側を紅葉した里山が次から次へと視界に迫ってくるのだ。フロントガラス、サイドガラスに入ってくるその景色は、どれをとっても絵になる景色であり、一瞬でも通り過ぎるのが惜しいくらいだった。そのため、車を停め写真を撮ろうという誘惑は数知れなかった。

こうした圧巻の紅葉を見ているうちに私は不思議な思いに駆られた。それは、「山が紅葉するのは、我々人間を呼び寄せるための植物たちの巧みな罠ではないだろうか」ということだ。つまり山の植物たちは、紅葉することによって私たち動物を山に引き寄せ、何か利得を得ようとしているのではなかろうか、ということだ。

だが植物たちのその戦略も、我々動物が紅葉を知覚し、それに引き付けられる構造が備わっていなければ、紅葉する意味はない。引き付けられる動物にも、構造とさらには行動を起こす利得がなければならない。そういう意味では、進化とは個々の種だけが適応するといったものではなく、生態系全体の中で、WIN-WINの関係、最適化するように、関連する種全体が変化するものなんだろうと私は考える。

気になった私は後日、霊長類の色覚について調べてみたら、意外なことが分かった。明らかなことは、赤と緑の区別がつく三色型色覚を持つのは旧世界霊長類(アフリカ、アジアの旧大陸に住む)だけであり、新世界霊長類(南米や中米に住む)は一部の雌だけが三色型色覚で、雄とそれ以外の雌は赤と緑の区別がつけられない二色型色覚なのだそうだ。霊長類以外の哺乳類のほとんどの色覚が二色型であることを考えると、元は二色型色覚であった知覚機能が三色型へと進化したのだろうと推測でき、新世界霊長類は、かなり早い段階で南米、中米に移り住み、その後三色型色覚への進化の必要性がなかったのかもしれない。

旧世界霊長類に属すヒトは言うまでもなく三色型色覚(ごくまれに四色型色覚の人がいる)であるが、知っての通りヒトすべてがそうではなく、赤と緑の区別のつかない二色型色覚の人もいる。日本での先天性色覚異常は、男性の20人に一人(5%)、女性の500人に一人(0.2%)いると言われる。また色覚異常の発現率には人種間の違いがあるそうだ。2014年4月に米国眼科学会がOphthalmology誌オンライン版で、年少男児の色覚異常有病率には人種差があり、中でも白色男児に多いと報告している。同研究は、カリフォルニアの就学前児童(3-6歳)4005人の色覚異常を調査した。それによると、色覚異常は白人男児で5.6%と最も多く、アジア人男児3.1%、ヒスパニック系男児2.6%、アフリカ系男児1.4%と続いた。一方、女児の有病率は、全ての人種で0-0.5%と極めて低かったため、統計学的な人種間比較ができなかったという。

人種間で差があるのは色覚異常の発現率だけでなく、光の感受性も差があることが知られている。主に脳の松果体で生合成されるメラトニンは、昼間はほとんど分泌されず、夜に分泌が高まるため、内因性概日リズムを反映するホルモンとされている。メラトニンは光により急速に分泌が抑制されること、光以外の要因の影響を受けにくいことから、生体の光感受性マーカーとしてよく用いられている。虹彩の濃いアジア人(アジア群)と虹彩の薄い欧米人(コーカソイド群)を対象に光に対するメラトニン分泌抑制を比較した場合、虹彩の薄いコーカソイド群はアジア群よりもメラトニン分泌抑制が有意に大きかったそうだ。つまりコーカソイド群の方が光の感受性が高いことが示されたのである。その理由として、この研究を行った樋口重和(国立精神・神経センター精神保健研究所精神生理部)は、薄い虹彩は光の透過が大きいこと、薄い網膜色素上皮は網膜内での光の散乱が大きいことを挙げている。だがメラトニンの分泌抑制が、照度(明るさ)だけで決まるわけでなく、460nm付近(青色光)の短波長の光で最も抑制されることを考慮すると、虹彩の色や色の感受性の影響も検討すべきなのかもしれない。

哺乳類以外の動物をみると、鳥類、魚類、爬虫類などの色覚は多様であり、二色型のものもあれば、四色型のものまであり、紫外線を感知するものもいる。だがフクロウやヨタカといった夜行性の動物は光に対する感度は高い一方、色彩に対する感度は低い共通性がある。つまり光の感度と色彩に対する感度はバーター取引だ、ということだ。

確かに暗い場所では色の識別は困難となり、その必要性は薄れてくるのかもしれない。ちなみに緯度の高さと光の強さの関係は三角関数の余弦で表され、緯度60度の地域だと、赤道下の半分の光の強さになる。だが地軸は23.4度傾いているため、季節によって光の強さは変化し、その範囲は11%から80%になる。さらに緯度66.6度以上の地域になると、24時間夜が続く極夜があることから、光の感度はより必要とされるかもしれず、そのためにその地域に暮らす動物は色彩に対する感度を犠牲にしても、光に対する感度を高めるよう進化してきたのかもしれない。そういう意味では、白人男児に色覚異常が多いのは必然の結果だったのかもしれない。

北欧の漁村で家の色がなぜあれほどまでに鮮やかなのか不思議に思ったことはないだろうか? 一説には、帰港するときに自分の家がすぐに分かるように、他家と識別しやすいように鮮やかな色を使っているのだ、というものがある。確かにそうかもしれない。さすがに極夜では役に立たないかもしれないが、薄暗い時期では鮮やかな色は識別しやすいだろうし、何よりも帰港するときに我が家が分かるという安心感はことさら嬉しいことであろう。逆に家の色を彩度の低い、色合いの乏しい家だったとしたら、我が家の識別はおろか、家さえもよく分からないかもしれない。また漁村にかかわらず、北欧の建物の多くが色鮮やかなのは、暗い冬を少しでも愉しく暮らそうと思う生活の知恵なのかもしれない。北欧など北の国に共通するのは、空と氷の青は別として冬の時期の色の乏しさだ。そういう寒々しい冬において、やはり彩りは心に安らぎと元気を与える。だからこそ街の景観も鮮やかであった方が、冬は愉しい。ことは単純にそういうことなのかもしれない。

さてごくまれに四色型色覚を持つ人がいると話したが、我々三色型色覚の人々がどうみても黄色にしか見えない色に、さらに紫と青を知覚する人がいるそうだ。のちの検査によりこの人は四色型色覚の持ち主であることが判明した。だが我々三色型色覚の人々には、四色型色覚の持ち主に、この同じ世界がどう見えるか想像もつかない。同じように、我々三色型色覚の人々は、二色型色覚(いわゆる赤緑の色覚に区別がない人)にどう見えているのか類推はできるかもしれないが、まったく分からないというのが正直なところだろう。

ましてや人は工業製品ではないのだから、個人差は大きく、色覚はもちろん、光の感度もそれぞれ少しずつ異なっているだろう。そればかりか、音、匂い、味といった五感の知覚のあり方も人それぞれであり、各々がどのように、この同じ世界を知覚しているかなど、本当は分かっていないのではないだろうか。たとえば食べ物のある香りは知覚できるが、ある香りは知覚できくなったと仮定してみて欲しい。おそらく食べ物を口にするときの感じ方は普段とはまったく異なるだろうし、おそらく、その感覚は想像もできないし、他の人とも共有もできないだろう。たった今、思考実験の例として、香りのことを取り上げたが、これは絵空事ではなく、現実に、香りの識別や感度は人によって異なることが知られている。

ここまで個々人の知覚の違いを述べてきたが、認知の違いとなるとその違いはもっと複雑で大きなものになる。なぜなら認知は個々人の経験に依存するところが大きく、個々人の経験が大きく異なるのは想像するまでもない。だとすれば、知覚も違う、認知も違うとなると、個々人が互いにみている世界が異なるのは当然でないかと思うのである。

精神科医として三十数年以上診療に携わり、多くの患者を診て来た。幻聴が聞こえる患者さんも多く診て来たけれど、結局は彼ら、彼女らの感じている世界のことは分からないのであり、その怖さなど想像もつかないのである。こういった議論を展開しているうちに、ひょっとしたら本当は幻聴なんかではなく、我々が聞こえない音を聞く特殊な感覚を彼らが持ち、それを知覚しているのかもしれないとさえ、私は思うのである。

ここで価値観について少し掘り下げてみよう。価値観とは、何に価値があると認めるかに関する考え方であり、「これは良い」「これは悪い」「これは正しい」「これは間違っている」といった正邪善悪を判断するときの根拠となるものの見方である。価値観は個人の経験により形成されるものであり、それには個人の体験だけでなく、その個人を取り巻く環境(文化)との体験によって規定されていくものである。個人の経験とは、刺激(誘因)>感覚・知覚・認知・判断>行動>フィードバック>・・・の一連の流れであり、常に外界と自身との相互交流によって形成される。だが前述してきたように、個々人の認知はもとより、知覚さえも個別的であることや、そもそも個々人が体験する環境(刺激)がそれぞれまったくと言って良いほど異なることを考えると、価値観はさらに人によって異なり、昏迷を深めることだろう。

何を当たり前のことを、延々と回りくどく言っているのだ、といった声が聞こえて来そうだが、果たしてそうだろうか? 誰もが何らかのソーシャルネットワークに関わるようになった昨今、私が一番不快に感じていることは、何か自分の気に障ることがあるとすぐに炎上する風潮である。改めて私の立ち位置を示すが、個人の価値観はそれぞれ異なり、簡単に分かり合えるものではない。同じように個人の集合体である文化の、総体としての価値観はそれぞれ異なるものであり、簡単に分かり合えるものではない。その理由はこれまで述べて来た通りである。

しかも価値判断は、見えるものやことが変わればいとも簡単に変わる。視点が変われば見え方も変わることを伝えるために、私は講演会で次のような質問をする。「日本には上り坂と下り坂とどちらが多いと思いますか?」と。しばらく考える時間を与え、聴講者の顔を眺めるていると、(どっちが多いんだろう?)と真剣に考えている様子がいつも伺える。答えは言うまでもなく、どちらも同じである。なぜなら、坂は下から見れば上り坂であり、上から見れば下り坂である。途中に立てば、上り坂でもあり、下り坂でもある。こんな単純なことでさえも、人は自分の視点が相対的であることにまったく気付かないのである。つまり価値観とは絶対的なものでなく、視点が変われば、見方が変われば、場所が変われば、時代が変われば、ころころ変わるものである。個々人の価値観の基盤というものは、実はまったく脆弱であり、その脆弱な価値観で、他人の異なる価値観を非難することこそ笑止なことはないのである。

ソーシャルネットワークにおいて、簡単に炎上が起こる理由のひとつは、相手も自分と同じ価値観を持つべきだ、そしてその価値観に従って行動すべきだ、という「べき思考」にある。ふたつめは、対象の断片的な言動や特徴だけで善悪正邪を判断し(レッテル貼り)、相手をそれ以上理解しようとしない思考停止にある。

(続きは明日かも・・・)


小さな英雄

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
(宮澤賢治、『雨ニモマケズ』より)

今から数年前、長く勤めていた病院、最後の外来の日に、発病してからずっと診ていた患者さんから手紙をもらった。

その手紙には、自分が自分でなくなるのでは、といった不安。家族に悲しい思いをさせた後悔。楽しい事、明るい未来なんてもう来ない、死んでしまいたい、とさえ思ったこと。病気になぜなったのか、病気にならなかったら、ごくごく普通の生活ができたのに、という残念な気持ち。だが、家族や仲間など周りの支えによって、一番良い状態になれたこと。病気になったからこそ出会えた人がいて、病気になったからこそ出会えた仕事もあったこと、など感謝の言葉が綴られていました。

綴られたひとつひとつの言葉は、患者さんだからこそ語られることばかりだったのですが、その中にあった、あるひとつの言葉は、私への最高の賛辞であるばかりか、長く心の中にあった私のある思いに自信を与えてくれました。

「病気は死にたくなるくらい苦しくて辛いけど、私は病気になって良かったと思っています」

医療においてリカバリーは重要なテーマであり、医療に関わる人たちそれぞれの視点から、「リカバリーとは何か」と多く語られています。その現定義は、「人々が生活や仕事、学ぶこと、そして地域社会に参加できるようになる過程であり、ある個人にとっては障碍があっても充実し生産的な生活を送ることができる能力であり、他の個人にとっては症状の減少や緩和である」です。もともと症状の回復を指す言葉で始まったリカバリーですが、医療のみならず福祉関係の支援者、当事者の意見を汲むうちにでしょうか、年々、多義的となり、リカバリーの概念が拡大して来ました。

リカバリーという言葉が人口に膾炙し、徐々に多義化するにつれ、私はこのリカバリーという言葉に違和感を感じるようになりました。リカバリーの原義は、「回復すること、復旧すること」であり、「壊れたり、傷んだものを元の状態に戻すこと」です。ですが、昨今耳にするリカバリーは、症状の減少といったもともとの原義を外れ、障碍があっても充実し生産的な生活をする過程を指すというように、リカバリーの原義とは一致しないものまでも含蓄するようになった。それがひとつの理由です。

また症状の回復を目指した、もともとのリカバリーの概念にも問題点を感じていました。統合失調症患者に対するリカバリーの基準はとても厳しく、いくつかの研究によると、安定している外来患者の寛解率(回復よりも緩い基準)を調査したところ、全体の30%程度しか寛解していなかったといいます。言い換えると、外来患者の7割が回復どころか寛解さえもしていないことになります。統合失調症患者さんは外来患者ばかりではありません。多くの統合失調症患者さんが、入退院を繰り返したり、退院のめどもまったく立たないまま一生入院を続けています。この現実を見ると、寛解や回復といった、多くの統合失調症患者さんにとって達成の見込みのない目標を、治療者目線で掲げることに意味があるのだろうか、と疑問ばかりか憤りさえも感じていたのです。そこで私はある時から、すべての患者さんに共通する目標を考え、再定義しました。それはとても単純なものでしたが、10年以上経った今もまったく変わっていません。それは「自分の可能性を最大限発揮すること」です。これであれば、症状や障碍が仮に残っていたとしても、どんな患者さんでも、自分なりの目標を設定することができます。大切なのは、人に決められた目標ではなく、自分で決めた目標なのです。長く人間を観察していると分かりますが、人は自分のことを他人に決められたくないのです。だからこそ、目標は自分で立てる必要があるのです。

このような事情から、私はリカバリーという言葉の代わりに、再出発(Restart)という言葉を使うようにしています。その理由のひとつは、理論的に完璧なリカバリーは存在しないということです。リカバリーの原義が元の状態にすることだとすれば、症状の回復だけでなく、病気によって生じた尊厳の喪失、社会経済的損失はもちろんのこと、家族が受けた辛い体験なども回復させなければなりません。更に難しいのは時間の喪失です。これは絶対に回復することはできません。ですから、そもそもできない目標を掲げるよりも、新たな価値観で、新たな目標を掲げ再出発する方がより現実的ではないかと私は考えるのです。二つ目の理由として、症状の回復を意味するリカバリーの概念では、仮に症状が全回復しても、「健康」というゼロ基点に戻るだけであり、症状の回復が期待できない患者さんにしてみれば、どんなに努力しても進歩が得られないどころか、常にマイナスに位置するだけです。一方、「新たな自分探しの旅に出る」再出発という概念であれば、再出発地点がゼロ基点ですから、努力すれば努力した分だけプラスになります。つまり小さな成功体験を得やすくなります。小さな成功体験が動機を生むことを考えると、このことは治療習慣の確立に有利に働きます。しかも目標は「自分にとっての最高の自分に出会うこと」ですから、症状の回復を目指さす必要もなく、症状回復の見込みのない患者さんでも色々な目標を設定することができます。実際の治療場面では、再出発を勧めるだけでなく、自分なりの新たな価値観の創出を手助けし、自分が納得できる人生を選択できるように私は働きかけています。

2021年夏、さまざまな意見が飛び交う中、一年遅れて東京オリンピックおよび東京パラリンピックが開催されました。ご存じの通り、パラリンピックは障碍者を対象とした、もうひとつのオリンピックです。22競技539種目が実施され、東京パラリンピックでは、金メダル13個を含め、51個のメダルを獲得し、多くの人に感動を与えたことは言うまでもありません。

パラリンピックは、元々、パラプレイジア(Paraplegia、対麻痺<脊髄損傷などによる下半身麻痺>)とオリンピック(Olympic)の造語から始まったと言われています。その後、半身不随者以外の身体障碍者も参加する大会へとすでに変化していたことから、IOCは1985年、「もう一つのオリンピック」という意味を表すべく、パラ(Para、並行を表す言葉)とオリンピックと造語へと解釈をし直しました。このことは、第二次世界大戦傷痍軍人の社会復帰を進める目的で発祥した「福祉」としての祭典から、障碍者アスリートの台頭による「スポーツ競技」としての祭典へとパラリンピックが変化したことを意味します。この背景には、障碍者当事者や支援する人たちが、障碍を「健康から外れたもの」から「(障碍という)個性」へ考えるようになってきたことにあると考えられます。このことは、リカバリーの原義である、「外れたものを元の路線へと戻す」という従来型の考えがすでに時代遅れとなっていることを意味します。

「病気は死にたくなるくらい苦しくて辛いけど、私は病気になって良かったと思っています」

彼女のこの言葉は、健康から外れた場所から元の道に戻るといったリカバリーの概念から決して出るものではありません。それは、自分なりの新たな地図を作り、新しい目標へ至る道を作ったからこそ出た言葉です。そしてそれは、「リカバリーからリスタートへ」「今の自分にとって最高の自分になる」支援を続けてきた私に、「先生のやっていることは間違っていないよ」と背中を押してくれるメッセージのようなものであり、「私は病気になって良かった」とすべての患者さんが心から思える支援が私の目指す場所なのだと確信させるものでした。

手紙をくれた彼女は、幸い、統合失調症患者にありがちな再発は一度もなく、文字通り順調な回復(リカバリー)をしました。それは私の治療が特別だったわけでもなく、また彼女にだけ特別熱心に治療を行ったわけでもありません。明らかなことは、彼女の心に「治る力」があったからに過ぎません。

一方、彼女とはことごとく正反対の結果になる人もいます。こちらが考えうる最良の治療を提供しても、さまざまな理由や言い訳を口にして、受け入れようとしなかったり、得られた成果に満足できず治療を放棄したり、単に粘り強さを欠いていることもあります。

このように同じ治療方針や方法を提供しても、その人がもつ「治る力」によって成果がまったく異なることは、私が精神科医として働き始めていた当初から気づいていました。「治る力」がある人とそうでない人の違い。これはのちに述べる「幸せのメソッド」の開発のヒントとなったものですが、その中での一番のポイントは、現状を謙虚に受け入れる、ということ。そしてささやなか変化に悦びを感じ、感謝の気持ちを持てること、といえます。

患者の治療過程において最も重要なものは、本人の動機です。自分の病気を克服しようとする気概です。これは明らかに、「治る力」を持った患者さんの方が、そうでない患者さんよりも明確です。そして、「治る力」のある人は、小さな治療成果でも満足度が高いため、治療の継続、積み重ねができ、粘り強いのです。このような「治る力」のある人に共通する特性は、病気を克服するだけでなく、幸せな人生を歩むのにとても有利であると私は考えています。そこで、私はこれらの特性を「幸せのメソッド」としてまとめ、疾患を抱えた人だけでなく、その他多くの人に伝えることに意味があるのでは、と考えました。

令和3年1月より、「幸せのメソッド」を入院している私の患者さんへ毎月一度、試験的に行っています。患者さんの集中力を考え、一回のセッションは一時間です。毎月学ぶべき、そして実践すべきテーマを決め、そのテーマについて患者さんたちに自身の経験や考えを話合わせ、その後「幸せのメソッド」的思考スタイルを私が解説します。これまでのテーマは「あなたにとって幸せとは何ですか?」「感謝したこと、されたこと」「人生で達成したい夢や目標は何ですか?」など多岐に渡ります。

幸せのメソッドを効果あるものにするために、二つの大きな約束を私は彼らにお願いしています。ひとつは覚悟を持つ、です。その覚悟とは、「幸せになる」(目的意識)と「今を精一杯生きる」(現在意識)、です。もうひとつは行動に移す、です。「幸せのメソッド」に限らず、行動はとても大切です。幾万の言葉を語ったとしても、ひとつの行動に勝るものはありません。人は行動によってのみ評価されます。これは経験から学んだ私の考えであり、「万読不如一行」と表現し、何千回、何万回と本を読んだり、人から聞いて学んだとしても、自分で考えた一回の実践に決して敵うものはないと、実践を積極的に勧めます。

行動に移す、意味をもう少し説明しましょう。現在(自分)を変えられるのは習慣の変更だけです。その理由は簡単なことで、刺激>習慣>反応(行動と感情)といった事象の連綿が一個の個人に起こっています。言うまでなく、刺激は我々が制御したり、関与できる範囲には限りがあります。習慣は、与えられた刺激に応じて、その後の反応をほぼ自動的に引き起こします。ですから、習慣が変わらない限り、人はいつも同じ行動を取ります(私はこれを心の慣性法則、と呼んでいます)。こういった理由から、現在(自分)を変えるためには習慣を変えるしかないのです。習慣を変える方法はここでは割愛しますが、読んだり、聞いたり、考えたり、といった認知思考だけで習慣を変えるのは困難であり、学んだことをまず行動に移し、実践から体得したことを次の行動に反映する。その連綿によってようやく自分にあった習慣が形成されます。だからこそ行動に移す、ことが重要なのです。

二つ目の理由は、これは私の持論になりますが、思考や感情を変えたいのであれば、心の器である身体から変えてしまった方が早く成果が得られる、です。「水は方円に随う」という言葉がありますが、心が水、身体が器だとすると、心は身体に随う性質があります。悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ、という言葉を皆さんどこかで聞いたことはないでしょうか? すべてでないにしても、これは事実です。笑うという行為をしながら、悲しい気持ちを続けることは難しいのです。すべての芸道が形から入るのもこの事実によるのだと思います。正しい形には、(その芸の)正しい心が宿るのです。だからこそ、私は、行動に移すことを何よりも大切にし、幸せになるために必要な思考スタイルを行動に落とし、それを習慣とするよう指導しています。

皆さんはネイビーシールズ(Navy SEALs)、米国海軍特殊部隊を知っているだろうか。SEALsという名称が、海(SEa)、空(Air)、陸(Land)のアルファベットの頭文字から成ることから分かるように、海、空、陸あらゆる場所で特殊作戦を実行する部隊である。必要とあらば北極圏水中といった過酷な環境でも、与えられたミッションを実行する。従来、関わった作戦や任務を退役した隊員が語ることは憚られていたようだが、近年、みずから関わった作戦や任務の一部を元隊員が公表し、書籍や映画、ドラマなどを通じてその様相を知られるようになっている。そして近年では、過酷な訓練、過酷な実戦、いわば修羅場をくぐってきたネイビーシールズ隊員のメンタルタフネスに注目が集まっている。

ネイビーシールズ入隊志願者は、5週間の基礎教育課程後、米軍で最も過酷とされる基礎水中爆破訓練を約半年受ける。この訓練課程でおおよそ8割近くが脱落する。メンタルタフネスという視点からとても興味深いのはその訓練方法である。この訓練では、極限状況に追い込むだけでなく、不確実性が高く、必ず失敗する状況を志願者に何度も何度も経験させる。だがこのような過酷な状況において、放っておいた小さなミスでも作戦の最終的な失敗を来すことから、ミスを見つけた時点で速やかに適切な対処をすることが常に求められる。このような訓練により彼らは、どんなに不確実性が高い状況においても、酷い現実とみずからの失敗を受け入れ、「失敗の中で前進」し続けることを学習するのである。

ネイビーシールズ元隊員が語る境地には学ぶべきポイントがたくさんあるが、その中でも最も重要だと感じたのは、自分がコントロールできることだけにエネルギーや時間を注ぐ、ということである。これは「幸せのメソッド」の基本的な考え方(現在意識)であり、講義の当初から繰り返し繰り返し患者さんに伝えてきていることでもある。

パラリンピックの選手たちが私たちに感動や奮起を与えてくれるのは、抱えている障碍を受け入れ、そして自分たちなりの最高のパフォーマンスを我々に見せてくれることに他ならない。障碍を嘆いたり、恨んだりするのでもなく、最高の笑顔で最高の技能を発揮しているからに他ならない。「リカバリー」といった健康への道のりを歩もうとする努力を我々に示しているのではなく、障碍といった個性の上に自分なりの、新たな世界と価値観を伝えているからに他ならない。そこには、健常者目線のリカバリーの概念を超越した世界があるからなのです。

宮澤賢治で有名な詩のひとつに「雨ニモマケズ」があります。これは賢治の没後、手帳に書かれたメモとして発見されました。詩というより、本人の決意であったり、願いであったように私は感じます。冒頭の部分を引用しましょう。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

この詩を取り上げたのは、この詩に「幸せのメソッド」と相通ずるところが多数みられたからです。冒頭のこの部分は「幸せのメソッド」の「現状を謙虚に受け入れる」を別の言い方で表したようなものですし、シールズ元隊員が語った境地のひとつでもあります。この冒頭部分を、「幸せのメソッド」的にあえて書き換えると次のようになるでしょう。

私は雨を受け入れます
私は風を受け入れます
そして雪も夏の暑さも受け入れます
しなやかな心と体を持ち
(幸せになるための)正しい動機を持ち
決して瞋らず
いつも快活に笑っています

この詩の後半には次のような文があります。

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ

この考えも「幸せのメソッド」にある、他人の評価を気にせず、自分の価値は自分で決める、とほぼ同様の内容と言っていいでしょう。この文を「幸せのメソッド」的に書き換えると、こうなるでしょうか。

誰かに批判されても聞き流し
誰かに褒められることも期待せず
誰に関心を持たれなくても気にせず
自分の価値は自分で決める

パラリンピックの選手、シールズの隊員は、自己や環境にある過酷な現実を受け入れ、自分を信じ、そして最高のパフォーマンスを実践した人たちばかりです。そして、誰も乗り越えられそうにない障碍を克服したその行動が人々に感動を与えたからこそ、皆さんの注目を浴びました。それはそれで素晴らしい、と私は素直に思います。

ですが、過酷な現実を受け入れ、自分なりの最高のパフォーマンスを実践したのは、パラリンピックの選手やシールズの隊員ばかりではありません。私に手紙をくれた患者さんを筆頭に、この世には誰にも知られることのない多数の英雄がいるのです。過酷な現実は、病気だけに限りません。自然災害であったり、人的災害であったり、さまざまな出来事が私たちの心と体を脅かします。東日本大震災、それに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から、すでに12年も経とうとする今でも、約3万9000人の方々が、全国47都道府県914市区町村で避難生活を余儀なくされています。でもこの多数の英雄たちは、現実を受け入れ、時には不平不満を漏らすこともあったかもしれないけれど、自分なりの幸せを手に入れるために前進を続けています。彼らにはパラリンピックの選手やシールズの隊員のような華やかな経歴はありません。賢治の詩にあるように、時には「ミンナニデクノボートヨバレ」そして「ホメラレモセズ クニモサレズ」の生活をしています。そのような彼らに思いを馳せると、私には到底できないであろうことをやってのけている、彼女、彼らを心の底から尊敬し、誇りに思うのです。

2017年末、ローマ教皇フランシスコが「戦争がもたらすもの」という言葉と彼の署名を添え、世界の教会に配布したことで有名となった、『焼き場に立つ少年』という写真があります。米国従軍カメラマンだったジョー・オダネルが撮影したもので、原題は「焼き場にて、長崎1945年」です。

オダネル氏は被爆後の広島、長崎を私用カメラで300枚ほど撮影していていました。そのフィルムは43年に渡り封印されていましたが、1989年、「核戦争を繰り返さないことに役立つなら」と写真展を開きました。幼子を火葬にする少年の当時の様子を彼は次のように語りました。

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
10才くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶ紐をたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやって来たという強い意志が感じられました。しかも彼は裸足です。少年は焼き場の渕まで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
少年は焼き場の渕に、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気づいたのです。男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それから眩いほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がついたのは。
少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりと踵を返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした」

時も、場所も、少年の置かれた状況も何一つ分からず、たった一枚の写真と撮影者の語りから、その少年の気持ちを到底分かるとは思ってもいません。ですが、写真に写る、毅然とした姿勢と表情は、美化していると言われるのも承知で言いますが、現実を受け止め、自分なりに精一杯に生きる覚悟を感じます。けれども、その覚悟と生きざまは誰に褒められるのでもなく、誰に見られるのでもなく、ひそやかに行われている。これこそまさしく、「幸せのメソッド」を体現している姿であり、長崎の小さな漁村の、わずか10歳ほどの少年が成し遂げていることに驚きを感じると同時に、少年に重くのしかかる過酷な運命に思いを馳せると、「小さな英雄よ、頑張れ!」と心から祈る気持ちになるのです。

少年の行方は誰も知りません。ですが、私の心の中で、「小さな英雄」として、「永遠の希望」として彼は生き続けています。

(補足1)瞋は、仏教が教える煩悩のひとつ。瞋恚(しんに)ともいう。怒り恨みと訳される。憎しみ。嫌うこと、いかること。心にかなわない対象に対する憎悪。自分の心と違うものに対して怒りにくむこと(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。


苦労はささやかな楽しみとともに

楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ(シェークスピア、『マクベス』)

昨日はニューイヤー駅伝、そして今日は箱根駅伝を観ている(昨日でこの原稿を書き終えていれば、箱根駅伝に触れることはなかったけれど、触れている、触れざるを得なくなった理由は想像がつきことでしょう)。前者の正式名称は第65回全日本実業団駅伝、後者は第97回東京箱根間往復大学駅伝競走である。この数字を見ても分かるようにとても伝統があり、正月の風物詩として有名なものである。だがこれまでの私は駅伝にさほど興味がなく、他に観たいとも思える番組がなく、物音寂しいとの理由でBGMのように駅伝を流していたというのが本当のところだ。しかし今年は違った。まあ、食い入るように観るというほど熱狂する訳ではないけれど、ランナーのウェア、靴、姿勢や走るフォーム、テンポなど気にして見るようになったのだ。高校、大学と短距離、跳躍の経験がある。だがさして熱中するでもなく、当然優れたアスリートでもなく、ましてや長距離は小さいころから大嫌いだった。にもかかわらず、今日は駅伝を観ている。それには訳がある。

COVID-19。2019年に発生した新型コロナウイルス感染症は世界中にあっという間に広がり、社会、経済に甚大な被害を与え続けている。人の動きを止め、経済の息の根を止めようとしている。学校や大学の授業を一斉に休止する時期もあった。これほど社会に影響を与えることはそうそうあるものではなく、私の人生史上、最大の出来事に位置することは間違いない。『ノストラダムスの大予言』が当たったとすれば、それが最大の出来事というか、人生最後の出来事になるはずだったが、これは大いに滑った。

でもよくよく考えると、COVID-19が人生最大の出来事だ、なんて語っている自分はたまたま運が良かっただけかもしれない。たとえば2019年日本の10大ニュースを調べてみると、「京都アニメーション放火、36人死亡」「東日本で台風大雨被害、死者相次ぐ」「沖縄・首里城が焼失」などと多くの方が私以上に苦難を強いられている。その目を世界に見回せば、内戦や飢饉などそこかしこに見られ、苦難を受けている人の数やその大きさは計り知れない。

時間を遡れば、私がこうして何も考えることもなく呑気に過ごして来られたのも、平和な日本にいたからであり、75年前までは日本は戦禍にあったのだ。『いっきに学び直す日本史』によると1945年以降日本は戦争に巻き込まれることはなかったが、世界を見渡せば戦争がなかった年はなかったとされている。おそらくそうであろう。そして人類の歴史上、戦争がなかったことはいまだかつてなかったと推測どころか確信している。加えて疫病、飢饉、災害などもふつうの出来事だったと思えるのである。

元旦の夜、NHKスペシャル「列島誕生 ジオ・ジャパン 第1集 奇跡の島はこうして生まれた」を観た。これによると、3000万年前、今の日本列島の位置には陸地もなかったそうだ。それが地球の地殻とその下部の変動により日本列島が形成され、現在の姿になったのは、3000万年を1年に例えると、12月31日になってからなのだそうだ。そう、ほんの一日のことであり、翌日にはもう今の日本列島の形はないかもしれないのである。そのように考えてみると、私たちは非常に脆い世界に生きているのであり、偶然、いい時代にいるから、こう呑気でいられるのかもしれない。

一年のうちの12月31日。たった一日。日本列島にとってたった一日であったとしても、私にしてみれば、長い時間であり、大切な時間であることは変わりはない。だとしたら、しぶとく、愛おしく生きてみたいと思うのである。この原稿を書く上で何に例えるのが良いのか最初に浮かんだのが、サバイバルゲームである(模擬銃を用い戦闘を模す競技とは混同しないように)。決められたフィールドの中で、生存し、成功することがこのゲームでは求められる。そしてフィールドは常に一定ではなく、ゲームの進行とともに変化し、プレイヤーは適応を求められる。このようにゲームとして受け止めれば、それはそれで楽しいのではないか。そういった安易な発想である。

しかもこのゲームのプレイヤーは自分だけに留まらない。自分以外の人間はもちろん、世界に存在するすべてがプレイヤーなのだ。COVID-19もプレイヤーであり、地球上の生物、大気、大地、海洋、地球そのもの、宇宙もプレイヤーであり、それぞれが生存と成功を求めて適応を続ける。その適応の中で、共存もあれば競争もあり、反目もある。それぞれが生存と成功を希求するといった単純なルールのもとで、せめぎあいゲームが進行する。だから自分以外のプレイヤーが、自分の意図に反する行動を取ったからと言って、いちいち反応しても仕方がないのだ。これは生存と成功を賭けたゲームであり、不平不満を言っている暇などない。

不謹慎、冷酷などと思われるのを承知で言うが、悲嘆にくれていても何ひとつ変わらない。手助けしてもらえるなどと思わない方がいい。なぜなら他のプレイヤーはおのれの生存と成功のため必死であり、他人をかまっている暇も余裕もなく、「適応」という無情なゲームを続けているからだ。

このような無情なゲームにおいて、平静を保ち、最高のパフォーマンスを発揮する方法はないだろうか。この点に関する私の考えは次のようである。

世界は自分と自分以外でできている。ここでいう「自分以外」の範囲は広く、自分以外の人間を始め、生物、無生物すべてを対象とし、私はこれらを総称して「環境」と定義する。別の言い方をすれば、「適応」というゲームにおける、自分以外のプレイヤーすべてが「環境」である。そのうえでこのように考える。「環境は変えられないけれど、それに対する自分の見方や考え方は変えられる。そして行動も変えられる。そうすればおのずと感情も変わるものである」

ここで注意しておきたいことは、自分の見方や考え、行動、感情というものは互いに密接な関係にあり、これらのどれかが変わると他のものも変わるという性質を持っているということだ。だから「適応」「変化」を求めたいのであれば、これらのどれが一番変えやすいかという点に着目し、まずその要素に修正を加え、他の要素を変えていくというのが効率的である。これまでの精神科医としての経験を踏まえると、行動や習慣を変えていく介入が効率的なように思っているし、実際、患者さんへの指導はそうしている。

COVID-19の蔓延に伴い、それまで毎週通っていたジムを昨年3月には休会し、再開のめども立たない7月には退会せざるを得なかった。唯一の運動の機会を絶たれたわけだ。今思い出してもどういった理由で始めたのか分からないけれど(というか私の場合、思い付きで行動することが多いので、始めたきっかけがいつも思い出せない)、自然とランニングを始めるようになっていた。幸い場所には恵まれ、自宅から1キロも走れば江戸川の土手に出ることができ、土手道は上流にも、下流にもランニングコースがある。高台になっているため見晴らしは良く、川辺から遠くの街並みまで見通すことができる。

ランニングの流行のおかげで、ランニングライフを支援する、無料のアプリも充実しており、私はNike Run Clubを使っている。操作はとても簡単で、ランニングを開始するときに開始ボタン、終了したときに停止ボタンを押せばよい。すると自分が走った距離、時間、コースが地図とともに表示され、素晴らしいのは1kmごとのラップタイムが表示されるところだ。ランニングコースの高低差も表示してくれる。他にも優れた機能があるのだろうが、それ以上の関心もないのでよく分からない。

ランニングというか運動の効用は、言うまでもないが心と身体を活性化するところだ。私が毎週、気が進まないけれどもジムに行き、ウェイトトレーニングと水泳をしていたのはそのためだ。しかし週に一度のトレーニングでは筋肉の成長には不十分であり、ましてや仕事の都合で休んでしまうと、筋肉は衰え、また一から筋肉を鍛えることを繰り返している、という問題があった。この点について、ジムからランニングへと運動をシフトしたことはいい方向に働いた。病院の宿直やら講演会といった夜の仕事がない日はほぼほぼ毎日走るようになったため、筋肉強化には良い環境になったのである。さらにうれしいことは、ランニングしている間、耳は空いているので、その空いた耳を使って、読書ができるところだ。もちろん読む読書ではなく、聞く読書だ。先ほど引用した『いっきに学び直す日本史』もランニング中に読んだ本の一冊である。

ランニング能力の向上も関心事である。すべてのスポーツに通じることであるが、トップアスリートの動きには無駄がなく、最低限必要なところに、最低限の力しか使わない。ランニングも同じであり、効率よく走るのには、自分が発生した身体の力を地面に上手く伝え、その反動を上手く生かす必要がある。そのメカニズムは自分ではなかなか分からない。そこで、私はトップランナーの走りはどうなんだろうと気にするようになり、ランニングに関する番組を機会あるたびに観るようになったのである。大の長距離嫌いだった私からは想像もつかない、劇的な変化である。

「楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ」(シェークスピア、『マクベス』)。その真意は何だろうか? 箱根駅伝は、大手町・読売新聞社前~箱根・芦ノ湖間を往路5区間(107.5km)、復路5区間(109.6km)の合計10区間(217.1km)を、選抜された20大学と学生連合の全21チームで競う、学生長距離界最長の駅伝競走である。1区間およそ20㎞強を1時間と少しの時間で走る、初心者ランナーの私にしてみたら、鬼神がやる競技なのだ。「〇〇選手、どうしたのでしょう。苦しそうです」とアナウンスが入ったり、各区中継所において、たすきを次の選手に渡すと同時に倒れこむ選手のあまりもの多さを見るにつれ、「楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ」などといったセリフは白々しく思えて仕方がない。

それでも、どんなに苦しい気分の中でも、一条の光のように喜びの瞬間が訪れるからこそ頑張れるのも事実だ。朱色に染まった夕暮れ、そして紫へと変化する一瞬の空、江戸川に映る白い月。漆黒のビロードにビーズを散らしたような街並み、虹色で彩色した蝋燭のようなスカイツリー。気が進まないけれどランニングしたからこそ出会える一瞬に違いない。そしてランニング後の入浴は格別であり、安堵と高揚した気分が入り混じる。これを知っているからこそ、また走る気になれると言っても言い過ぎでない。

健康は病人のもの
健康の有り難さを知るものは
健康者ではない病人だ

太陽の美しさを知るものは
南国の人ではない
霧に包まれた北国人だ

自分はレンブラントの中に
最も美しい光を見
中風の病みのルノアールの中に
最も楽しい健康の鼓動をきく(中村彝、洋画家)

高く飛躍するには、一度沈み込む必要がある。どこかで聞いたことのある言葉であるが、私もそう思っている。人の感情とは不思議なもので、快適なことが続くと飽きてしまい、最初に感じた喜びを忘れてしまう。しかし不快なことが続いたあと、特に不快な時期が長ければ長いほど、快適なことに出会ったときの喜びはとてつもなく大きい。苦労と喜びは表裏一体であり、苦労を知ったものだからこそ、気づく幸せがある。

自然の現象を観察していれば分かることだが、同じことは決して続かない。嵐がずっと続くことはないのだ。どしゃぶりの日もあれば晴れの日もある。そして場所が変われば、起こっている事も変わる。どこかが夕闇を迎えているのなら、どこかは朝焼けを見ている。苦労はいつか終わる。

「私は何をするときでも、それがたとえ仕事でも、少し楽しむという姿勢を持つんだ。それで幸せになれる」(スティーヴ・ウォズニアック、Apple創業者)

元旦の朝、雲一つない真っ青な空が広がっていた。太平洋側で生活してきた私にしてみれば、まさしく正月晴れ。ありふれた毎年の景色ではあるが、これだけでも私は最高の気分になれる。しなやかに生きるコツ。苦労にささやかな楽しみを見つけ、走り続けること。きっとその先には大きな悦びが待っていることだろう。


防水一番の応用

木材、モルタル、コンクリートなどさまざまな建材の防水性を高めることで知られる「強力防水一番(日本特殊塗料)であるが、今回は、その高い防腐性、防カビ性と、素材の良さはそのままで、色のつかない特性を生かせる場所に使用してみた。

台所シンク、洗面所シンクの排水口は水と有機物に常に晒されているため、雑菌とカビの温床となっている。また浴室の床は当然ながら、壁の下部は物理的な理由から常に水で濡れていることが多い。このため、浴室に使われている塩ビ鋼板の劣化や剥がれを避けることができない。

油性塗料になるので、それに必要なものは言うまでもないが、実際に使用してみて、新たに用意した方が物がこちら。

①ゴム手袋
②マスク

揮発する特有の匂いがあり、その匂いは半日くらい続くことは覚悟した方がよい。また使用した刷毛や器具を洗浄するのにシンナーなどを使うことを考えると、①ゴム手袋、②マスクは健康管理上あった方が望ましい。さらに換気するために扇風機などあると良いかもしれない。

<使用する前に注意すること>
①強い防水性能があるため、再塗装する可能性がある場所には使用しないことが望ましい(塗装の必要のない素材むき出しのものにはGood!!)。
②素材によっては変質する可能性があるので、全面塗装する前に、目立たない場所で試験的に塗布して、問題がないか確認する(金属、陶器は問題なく使用可能だった)。
③汚れや水気は塗装する前にしっかり除去しておく。

<使ってみた印象>
塗装する前の処理がたいへんであったが、塗装は刷毛、歯ブラシ、場所によってはスプレーを使ってやれば、あっという間に終わる。半日もすれば匂いもなくなり、何よりも驚くのは、素材の様相がまったく変化しないこと。塗ったのかどうかも分からない。しかし防水、撥水性能は確かなので、防カビ効果は大いに期待できるように思われる。

半年後に、その効果を改めて報告しようと思う。


典型的仮眠の取り方

睡眠には「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」の2つのパターンがある。後者の「ノンレム睡眠」は、さらに4つの段階があり、第1段階、第2段階、…と徐々に深い睡眠となる。注意しておきたいことは、仮眠は第2段階までに留めることである。それ以上深く眠ってしまうと、目覚めは悪くなり、「睡眠惰性」といった強い眠気のため、仮眠後の仕事や勉強に差し支えるからである。では仮眠の流れを見てみよう。まず目をつぶって寝付くまでに5分(入眠潜時)、ノンレム睡眠第1段階に5分、そしてノンレム睡眠第2段階に9分、そして速やかに覚醒。おおよそ20分弱の仮眠である。各睡眠段階の時間は、年齢、体調、疲労度、睡眠不足などにより変化する。一般に若い人ほど、入眠にかかる時間(入眠潜時)は短く、睡眠段階も進みやすい傾向にある。したがって、深い睡眠(第3段階以上)に入るまでの時間は、10代から40代がおおよそ15分~20分、50代以降は30分ほどかかると言われている。よってまずは20分ほどの仮眠モデルを試して、その後の仕事や勉強のパフォーマンスを見ながら仮眠時間を調整するのがいいだろう。
【参考図書】 坪田聡、脳も体も冴えわたる1分仮眠法、株式会社すばる舎リンケージ、65 – 69頁、2012年6月16日第1刷


困った眠気を抑える

だらだらと続く報告だけの会議。これが昼休み後の会議だと、仕事というよりも睡魔との闘いと言った方が相応しいことがよくある。私たちの脳は、単調な刺激が続き、退屈すると怠けるようにできている。眠気は、大脳皮質・覚醒中枢・睡眠中枢によって支配されており、睡眠不足だから眠くなるといった単純なものではない。好きなことであれば、ワクワクした気持ちで、前日、よく眠っていなくても高い集中力で仕事や勉強に熱中した経験は皆さんにもあるだろう。実のところ眠気には、この「ワクワク」が最強の天敵であり、「興味」「楽しさ」「満足」を仕事や勉強に取り込むことが、困った眠気の特効薬となる。何のために仕事をしているのか? 勉強をして自分はどうしたいのか? 明確な目標や目的があれば、人は頑張れる。そしていつもワクワクした気分で、仕事や勉強に取り組むことができるのである。そうした時の脳は興奮状態にあるため、覚醒度は上がり、高い集中力を発揮することができる。次の行動に落ちないつまらない会議でも、どうすればより高い意義のある会議にできるか。自分だったらどう課題に貢献できるか。そういった前向きな気持ちで会議に取り組めば、睡魔との闘いといった消極的な事態も解消され、発言力のある、有力な社員として評価も上がるのではないだろうか。
【参考図書】 坪田聡、脳も体も冴えわたる1分仮眠法、株式会社すばる舎リンケージ、130 – 134頁、2012年6月16日第1刷


加速する規制社会

健康は病人のもの
健康の有難さを知るものは
健康者ではない病人だ

太陽の美しさを知るものは
南国の人ではない
霧に包まれた北国人だ

自分はレンブラントの中に
最も美しい光を見
中風の病みのルノアールの中に
最も楽しい健康の鼓動をきく

-中村彝(洋画家、1887/7/3 – 1924/12/24)

職場でのパワーハラスメント(パワハラ)を防ぐため、企業に防止策を義務付ける労働施策総合推進法の改正案が、2019年5月29日、参院本会議で可決、成立した。義務化の時期は早ければ大企業が2020年4月、中小企業が2022年4月の見通しとされている。

後述する話によって誤解をされたくないので、最初に明らかにするが、私自身、あらゆるハラスメントも許されるべきではないと思っているし、上司からのパワハラにより、職場のことを考えるだけでも気分が悪くなるといった患者を何人も診るにつけ、ハラスメントにより辛い思いをしたり、心が傷つけられる人が一人でもいなくなって欲しいと願っている。

「チコちゃんに叱られる!」(NKH総合)という国民的人気番組がある。2019年12月27日放送の出来事であるが、ゲスト出演していたさだまさし氏が、「お前を嫁に~♪」と彼の代表曲「関白宣言」を歌い掛けたとたん、ギターを弾く指を止め、「コンプライアンス的に『お前』はダメなんだそうです」「(歌うことは)もうムリでしょうね」と苦笑して演奏を止めた。その後、「お前」の是非を巡ってtwitterなどSNSで大きな反響を呼んでいる。

問題の歌詞には、「お前」という言葉が何度も繰り返し出てくるが、「幸福は二人で育てるもので どちらかが苦労してつくろうものではないはず」とあるように、「(亭主)関白宣言」と大上段に構える物言いながらも、「お前」を「俺」の対等のパートナーと位置づけ、嫁を蔑視した言い方として「お前」と言っているのではないことは歌詞をよく読めば分かる。

「お前」の意味を改めて調べてみると、古くは目上の人に対して用いていたが、近世末期からしだいに同輩以下に用いるようになり、親しい相手に対して、もしくは同輩以下をやや見下して呼ぶ語とされている。

「お前」という言葉のように、言葉そのものに、「見下す」など蔑視を内包するものもあるが、さだまさしの『関白宣言』の例からも分かるように、文脈により蔑視の気持ちというよりも、親しみや愛情といった陽性の気持ちを表すことも可能であり、言葉にはそもそも罪はなく、もし罪を問われることがあるのなら、文脈にあるのである。

また言葉に陽性や陰性の気持ちを込めるのは、文脈だけではない。非言語的情報も同じように、陽性の感情も陰性の感情も込めることができる。「あんたなんか、大嫌い!」と大好きな男性を前にして、すねるような真似をすれば、誰だって、この女性にとってこの場合の「大嫌い」は「大好き」という意味であることくらい分かるだろう。言葉というのは(陽)でも(陰)でもない中立な記号であり、それにより感情や意味を表すのは、文脈であり、非言語的情報であると私は考える。

集合体恐怖症と(trypophobia)いうものを皆さんご存知だろうか? 蜂の巣や蟻の巣、蓮の実などの小さな穴の集合体に対して、恐怖や嫌悪を抱く症状を持つ人のことである。最近では3つのカメラレンズを搭載したiPhone 11 Proや11 Pro Maxの写真を見て、恐怖や嫌悪を来した人がいるとSNSで話題になっている。

「有毒動物を避ける」という適応の名残りであると主張する研究者もいるが、その真相は現段階では定かでない。明らかなことは、集合体に恐怖を抱くものもいれば、そうでない人もいるという事実。このことから次のようなことが推測できないか。「集合体」はただそこに存在するだけで、「言葉」と同じように中立な情報でしかない。そこに陰性の感情や意味をもたらすのは、情報を受け取った側の人間の感性(システム)だということ(ここでは、恐怖をもたらす人の仕組みを感性(システム)と呼んでおく)。

人間の感性(システム)は(後天的な)学習によっても形成される。鈎十字は、日本では古来より親しみのある記号であり、家紋に取り入れられたり、寺を示す地図記号として普及していた。時代をさらに遡れば、ヒンドゥ教や仏教、あるいは西洋でも幸福の印として使用されてきたと言われている。しかし、現在ではナチスを想起させるものとして忌み嫌われる象徴となってしまい、それが一部の方々の恐怖や嫌悪によるもだとしても、全世界的にタブーとして、公では使えないものとして位置づけられてしまっている。

しかし冷静に考えてみれば、「鈎十字」には罪はないのである。罪に問われるのは、それを党のシンボルとしたナチスの一連の犯罪行為である。もしくは本来は(陽)でも(陰)でもない鈎十字に、ネガティブな意味を持たせてしまった「人間」による一連の行為と、「坊主憎けりゃ袈裟までまで憎し」と「人間」がもつ狭量な感性(システム)にあると思う。

「鉤十字」がそうであったように、どんな言葉も象徴も、タブー視されるようにすることは容易なことである。たとえば、たこ焼きをこの上もなく愛する一人の政治家が、たこ焼き図を、自党の象徴にすればよい。そして、絶大な金力、知力、胆力をもって、周囲の政治家と官僚を押さえ込み、独裁政権とも思われるくらいの絶大な権力を掌握をする。国民やマスコミは、その立身出世振りを挙ってもてはやし、その政治家を話題としない日は一日もないというくらい、ワイドショーで取り上げられる。彼を賞賛する本や雑誌は、出せば飛ぶように売れ、その話題をまたワイドショーが取り上げ、そしてまた本が売れるという、熱狂の時代がやって来る。しかし国民の熱狂はいつまでも続かない。世の常にあるように、次第に国民の熱狂は冷め、熱狂時代にはその人気ゆえに容認されてきた失態も、マスコミが先頭を切って、その政治家を叩き始め、またまたその政治家を話題としない日は一日もないというくらい、ワイドショーで取り上げられ始める。今が旬とばかりに雑誌も挙って彼をこき下ろし、雑誌の売り上げに貢献する。この頃になると、「そんな悪い奴だったんだ」とあの熱狂は何だったのだろうと思わせるくらい国民全体がネガティブ色に染まる。熱狂時代には、どこに行っても見ないことがなかった「たこ焼き図」は、持っていることはもちろん、見ることも憚れるくらいに国民の間ではタブー視されることだろう。言葉が、象徴が、このように蔑まれるようになるのは、容易で単純なことであり、すべてがそれを使う「人間」の罪によるものであり、被害者は「たこ焼き図」であることは考えなくても分かることだろう。

(続きはまた明日)


PNP思考のススメ

新年、おめでとうございます。

皆さまにとって、昨年はどんな一年だったでしょうか?

「良かった」「あまり良くなかった」など悲喜こもごもさまざまな気持ちを思い抱き、「今年は良い年になりますように」と神前で拍手しているでは、と思います。

精神科治療において薬物療法は大切な道具のひとつではありますが、それ以上に大切なことは患者自身のやる気を引き出すこと。ちまたではcomplianceの意味でadherenceという言葉が頻用されていますが、アドヒアランスとカタカナ英語のまま普及しているから、本来の意味を誤用されているように思えます。なので私は最近、adherenceを「疾病克服心」と意訳して講演で話すようにしています。

脱線しましたね。当然ですが、精神科には「良くない」気持ちで多くの患者さんが相談に訪れます。そのような患者さんからどうしたらやる気を引き出せるか。とても困難な課題ではありますが、私は次のような「考え方」を話すことにより気持ちを整理してあげることがあります。

「良い」「悪い」は「好き」「嫌い」と同じ感情のひとつであり、その時の、その個人の思いであり、永遠のものではない。時、場所、人が変われば、「良い」「悪い」といった感情は変化するものである。

この世に存在することやもの、すなわち森羅万象には「良い」も「悪い」もなく、ただそこに「ある」というだけの意味でしかない。

「良い」と思ったら、「悪い」と思うところはないか。「悪い」と思ったら、「良い」と思うところはないか。ものとことを冷静に見つめよう。

最後に、「悪い」気持ちを抱いたものやことから、「何を知ることができたか」「何を学ぶことができたか」を明らかにし、「前向き」な気持ちでその経験を将来に活かそう。できれば感謝の気持ちで終えたい。

「陽」「陰」、そして「陽」の流れで気持ちと思考を整理することから、私は「PNP思考」(Positive Negative & Positive thinking)と密かに命名しています(実はこの順序も大切)。

もちろん、理想通りに患者さんがこの考えをすぐに理解するわけではありません。ですが、上に述べたようなしなやかな「考え方」は健やかな生活を送るための素晴らしい手段であると自負しています。

私事ですが、昨年2月15日、合同会社MIRAIを立ち上げました。この会社では、精神科医師、あるいは精神科病院における経営企画管理業務の経験を活かし、訪問型コンサルテーションを展開しています。

たとえばメンタルヘルス相談事業。会社におけるパワハラをきっかけに10年以上に渡って仕事についていない男性に対する母からの相談。ご自宅へと訪問し、年金受給の仕方や本人の課題、今後のあり方について話しました。

メンタルヘルスを不得手とする産業医に代わって、精神科的課題を抱えている職員の病休や復職について助言をすることもあります。

経営企画コンサルテーション事業としては、現在、勤務している病院において、マーケティングの考えを取り入れた「顧客管理システム」の構築や、医療従事者に対して経営マインドを浸透させるべく経営企画セミナーの開催など行いました(ex. 「SWOT分析のpros and cons」「あなたの売りたいものに顧客は興味ない!」「誰も知らない売上と費用の本当の意味」など)。

最後にとりあげるのは、研修講演事業。医師、看護師、薬剤師など医療従事者に対する講演が多くですが、精神科患者さんのご家族や、少しずつですが社員への研修講義も行うようになりました(ex. 「感動を呼ぶ医療をしよう!」「地域で暮らす統合失調症患者さんに快適な処方(CASC)」「統合失調症治療における『最適化』の実践」など)。

勤務医の傍ら、経営している事業ですから、本業が疎かにならないようにぼちぼちとやっていますが、この事業を通じてさまざまな方々とお会いすることは、この上もない愉しみであり、とてもいい刺激となっています。

とっても長い新年の挨拶となりましたが、最後までお付き合い下さり有難うございました。

皆さんにとって、「今年も」とっても素晴らしい年でありますように、心よりお祈りし、キーから指を下ろしたいと思います。

平成31年元旦

 


行いに貴賎あり

これは、2016年12月1日、式場病院社員教育「できる社員養成研究 #2」において話した一部を投稿用に補筆したものである。

「医者は偉い」この言葉を皆さん、どのように受け止めるだろうか。「医学部に誰でも入れる訳じゃない。頭が相当良くなきゃ入れないから偉いと思う」「人の命を預かる重要な仕事だから偉いと思う」と肯定的な意見がある一方、「傲慢で横柄で嫌な連中」「頭のいいことを鼻に掛けている」と感情的な意見もある。では私は、というと、質問しておいて、それはないだろ、といった声が聞こえそうだが、まったく価値のない言葉だと思う。せいぜい、「アリは偉い」ほどの意味でしかないと思う。

「職業に貴賎なし」という江戸時代の思想家、石田梅岩による有名な言葉がある。「年間3000万円稼ぐ人もいれば、必死に働いても300万円の人もいる。職業は貴賎だらけだ」とこの言葉を誤解されている方もいるが、本来の意味は、どのような仕事も社会に必要とされているものであり、働くこと・職務を全うすること・労働をして稼ぐことは等しく貴いことである、人を仕事の内容によって差別すべきではない、ということであり、働いた結果得られるもの(お金など)が平等である、といった意味は本来ない。

この言葉を残した石田梅岩の時代においては、「貴穀賤商」と自分の手で何かを生み出す訳でもなく、金銭のやり取りだけで儲けている商人を蔑むところがあったが、彼はあえて、「武士が治め、農民が生産し、職人が道具を作り、商人が流通させる。どの職業も世の中のためになる点では貴いも賤しいもない」と説いた。時代は下って民主主義の現代、私はこの言葉をもう少し広く考えたいと思う。すなわち、職業だけでなく、年齢、性別、地域(生まれた場所や住んでいる場所)や財産、あるいは生まれてきた時代など人の属性に関わることすべてにおいて貴賎はない、あってはならないと考える。なぜならこれら属性の多くは、生まれる以前に決められており、個人の力で変えることができないからだ。人は否が応でも年を取る。性別は変えられない。生まれてくる土地はもちろん生まれてくる家も選べない。またこれら属性は会社が期待する正しい行動を約束するものではなく、財産があるからといって正しい行動をするとは限らないことは皆さんもご存知のことだと思う。つまり職業、年齢、性別といった属性に、尊いとか卑しいとか言うこと事態がナンセンスだといえる。

それでは、できる社員は「職業に貴賎なし」という言葉をどう超えていくか。私は「行いに貴賤あり」と新しく言い換えることだと考える。

「誰にも等しく与えられたものがあるとすれば、それは一日の時間である。けれども、与えられた時間をどう過ごすかは(自分で)決められる。」というマスターソンの言葉がある。どんなに忙しい人でも、時間を持て余している人でも、年老いた人でも、子どもでも等しく一日24時間と決められている。「私はとても忙しいから48時間」「私は子どもだから12時間」といった具合に時間がそれぞれの人によって振り分けられている訳ではない。できれば私だけには一日48時間あって欲しいと常々思うのだが、今のところその兆しもなく、毎日慌しい日々を送っている。しかし幸いなことに、与えられた時間をどう使うかは自分で決めることができる(もちろん事情が許さないこともあるだろうが)。

振り返ってみると、人生とは分岐の連続であり、右に行くか、左に行くか、あるいは前に進むか、後ろに戻るかなどと何かを常に選択して我々は生きている。同じようにどのような「行い」をするかといった選択も自分自身に委ねられている。

おそらく誰もが一度は読んだことがある、『蜘蛛の糸』という芥川龍之介の小説がある。「行いに貴賎あり」と言う視点から、この小説の代表的な部分を引用してみよう。

(1)カンダタは早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。

(2)そこでカンダタは大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚わめきました。その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急にカンダタのぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。

どうだろう。釈迦の行為について面白いことに気づかないであろうか。つまりカンダタは極悪非道の大泥棒であったが、小さな蜘蛛の命を救った善い行いに対しては、極楽へ上るチャンスを、自己中心の酷い行いに対しては、地獄へ突き落とすと、それぞれの行いに対してそれに見合った賞罰を与えるという単純な規則を実直に行っている。

この図を見て欲しい。カンダタの一生と私の一生を「良い」「ふつう」「悪い」行動と生存行動を、「おおよそこうじゃないかな?」と推測にもとづき、強引に振り分けて円グラフにして比較したものだ。まず気づくことは生存のための行動が人生の多くを占めているということ。睡眠、食事、整容など生きるための行動が意外と多い。次に気づくことは、大悪人のカンダタにも「良い」行いがあり、平凡なショウジにも「悪い」行いがある。すなわち、どんな人にも「良い」行いと「悪い」行いがあり、100%「悪い」行いの人などいないということ。一方、100%「良い」行いの人もいないということだ。世の中で聖人と呼ばれた人でさえもその例に漏れない。世間の人はとかく、「あの人は良い人だ」とか「あいつは悪い奴だ」と簡単にラベルを貼り評価するが、白黒はっきりする、そんな単純なものではないのだ。

以前、看護師さん向けの講義において、「感情は伝染する」と話したことがある。人にはさまざまな感情があり、気付こうが気付かまいが、ひとりの感情が、連鎖的に周りの人に伝染する。怒りの感情は怒りを、幸せの感情は幸せを呼ぶのだ。同じように行いも伝染する。

法隆寺の西の森に、ラングドン ウォーナー氏(1881~1955)の記念碑が建てられている。戦前、2度来日し日本美術を学んだウォーナーは、米軍による日本本土への空爆により、貴重な文化財が焼失されることに胸を痛め、のちにウォーナーリストと呼ばれる、文化財保護上空爆すべきでない137箇所を示したリストを米軍へ提出した。その結果、京都、奈良、鎌倉を始めそのリストの8割前後が大きな被害を免れた。

戦後まもなく、日本文化財の国外流出を防ぐため来日したウォーナーは、留学中世話になった仏像修復家 新納忠之介、法隆寺貫首 佐伯定胤のもとを真っ先に訪ね、その無事を大いに喜んだと言われる。帰国後、新納から感謝の手紙を受け取ったウォーナーは、恩師にこのような手紙を送った。

「あなたは私が京都や奈良を救ったと思ってはいけません。我々は重要な寺院であるとか神聖なる場所のリストを軍に送る仕事をしてきました。もし私がこれらの名前をあげたことが役立ったとしたならば、それはあなたのもとで勉強させてもらったたまものでした。」

ウォーナーは、恩師新納が彼に行った「良い」行いを決して忘れてはいなかったのである。新納が行った「良い」行いは、敵対する国と国の壁を越え、人と人としての絆を深め、ウォーナーに「良い」行いを促したに過ぎない。そのことをウォーナーはよく分かっていたのである。

良い会社とは、良い社長、良い上司、良い部下がいるだけでは完結しない。良い顧客、そして良い隣人(会社に関わるすべての方々)がそろって初めて良い会社といえる。良い会社を作る最初で、最後の一歩。それが「良い」行いであると私は思う。

参考資料
1)マイケル・マスターソン、大富豪の仕事術、124ページ
2)NHK BS1スペシャル「美術家たちの太平洋戦争~日本の文化財はこうして守られた~」2017年1月8日(日) 午後8時00分(50分)放映


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