楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ(シェークスピア、『マクベス』)
昨日はニューイヤー駅伝、そして今日は箱根駅伝を観ている(昨日でこの原稿を書き終えていれば、箱根駅伝に触れることはなかったけれど、触れている、触れざるを得なくなった理由は想像がつきことでしょう)。前者の正式名称は第65回全日本実業団駅伝、後者は第97回東京箱根間往復大学駅伝競走である。この数字を見ても分かるようにとても伝統があり、正月の風物詩として有名なものである。だがこれまでの私は駅伝にさほど興味がなく、他に観たいとも思える番組がなく、物音寂しいとの理由でBGMのように駅伝を流していたというのが本当のところだ。しかし今年は違った。まあ、食い入るように観るというほど熱狂する訳ではないけれど、ランナーのウェア、靴、姿勢や走るフォーム、テンポなど気にして見るようになったのだ。高校、大学と短距離、跳躍の経験がある。だがさして熱中するでもなく、当然優れたアスリートでもなく、ましてや長距離は小さいころから大嫌いだった。にもかかわらず、今日は駅伝を観ている。それには訳がある。
COVID-19。2019年に発生した新型コロナウイルス感染症は世界中にあっという間に広がり、社会、経済に甚大な被害を与え続けている。人の動きを止め、経済の息の根を止めようとしている。学校や大学の授業を一斉に休止する時期もあった。これほど社会に影響を与えることはそうそうあるものではなく、私の人生史上、最大の出来事に位置することは間違いない。『ノストラダムスの大予言』が当たったとすれば、それが最大の出来事というか、人生最後の出来事になるはずだったが、これは大いに滑った。
でもよくよく考えると、COVID-19が人生最大の出来事だ、なんて語っている自分はたまたま運が良かっただけかもしれない。たとえば2019年日本の10大ニュースを調べてみると、「京都アニメーション放火、36人死亡」「東日本で台風大雨被害、死者相次ぐ」「沖縄・首里城が焼失」などと多くの方が私以上に苦難を強いられている。その目を世界に見回せば、内戦や飢饉などそこかしこに見られ、苦難を受けている人の数やその大きさは計り知れない。
時間を遡れば、私がこうして何も考えることもなく呑気に過ごして来られたのも、平和な日本にいたからであり、75年前までは日本は戦禍にあったのだ。『いっきに学び直す日本史』によると1945年以降日本は戦争に巻き込まれることはなかったが、世界を見渡せば戦争がなかった年はなかったとされている。おそらくそうであろう。そして人類の歴史上、戦争がなかったことはいまだかつてなかったと推測どころか確信している。加えて疫病、飢饉、災害などもふつうの出来事だったと思えるのである。
元旦の夜、NHKスペシャル「列島誕生 ジオ・ジャパン 第1集 奇跡の島はこうして生まれた」を観た。これによると、3000万年前、今の日本列島の位置には陸地もなかったそうだ。それが地球の地殻とその下部の変動により日本列島が形成され、現在の姿になったのは、3000万年を1年に例えると、12月31日になってからなのだそうだ。そう、ほんの一日のことであり、翌日にはもう今の日本列島の形はないかもしれないのである。そのように考えてみると、私たちは非常に脆い世界に生きているのであり、偶然、いい時代にいるから、こう呑気でいられるのかもしれない。
一年のうちの12月31日。たった一日。日本列島にとってたった一日であったとしても、私にしてみれば、長い時間であり、大切な時間であることは変わりはない。だとしたら、しぶとく、愛おしく生きてみたいと思うのである。この原稿を書く上で何に例えるのが良いのか最初に浮かんだのが、サバイバルゲームである(模擬銃を用い戦闘を模す競技とは混同しないように)。決められたフィールドの中で、生存し、成功することがこのゲームでは求められる。そしてフィールドは常に一定ではなく、ゲームの進行とともに変化し、プレイヤーは適応を求められる。このようにゲームとして受け止めれば、それはそれで楽しいのではないか。そういった安易な発想である。
しかもこのゲームのプレイヤーは自分だけに留まらない。自分以外の人間はもちろん、世界に存在するすべてがプレイヤーなのだ。COVID-19もプレイヤーであり、地球上の生物、大気、大地、海洋、地球そのもの、宇宙もプレイヤーであり、それぞれが生存と成功を求めて適応を続ける。その適応の中で、共存もあれば競争もあり、反目もある。それぞれが生存と成功を希求するといった単純なルールのもとで、せめぎあいゲームが進行する。だから自分以外のプレイヤーが、自分の意図に反する行動を取ったからと言って、いちいち反応しても仕方がないのだ。これは生存と成功を賭けたゲームであり、不平不満を言っている暇などない。
不謹慎、冷酷などと思われるのを承知で言うが、悲嘆にくれていても何ひとつ変わらない。手助けしてもらえるなどと思わない方がいい。なぜなら他のプレイヤーはおのれの生存と成功のため必死であり、他人をかまっている暇も余裕もなく、「適応」という無情なゲームを続けているからだ。
このような無情なゲームにおいて、平静を保ち、最高のパフォーマンスを発揮する方法はないだろうか。この点に関する私の考えは次のようである。
世界は自分と自分以外でできている。ここでいう「自分以外」の範囲は広く、自分以外の人間を始め、生物、無生物すべてを対象とし、私はこれらを総称して「環境」と定義する。別の言い方をすれば、「適応」というゲームにおける、自分以外のプレイヤーすべてが「環境」である。そのうえでこのように考える。「環境は変えられないけれど、それに対する自分の見方や考え方は変えられる。そして行動も変えられる。そうすればおのずと感情も変わるものである」
ここで注意しておきたいことは、自分の見方や考え、行動、感情というものは互いに密接な関係にあり、これらのどれかが変わると他のものも変わるという性質を持っているということだ。だから「適応」「変化」を求めたいのであれば、これらのどれが一番変えやすいかという点に着目し、まずその要素に修正を加え、他の要素を変えていくというのが効率的である。これまでの精神科医としての経験を踏まえると、行動や習慣を変えていく介入が効率的なように思っているし、実際、患者さんへの指導はそうしている。
COVID-19の蔓延に伴い、それまで毎週通っていたジムを昨年3月には休会し、再開のめども立たない7月には退会せざるを得なかった。唯一の運動の機会を絶たれたわけだ。今思い出してもどういった理由で始めたのか分からないけれど(というか私の場合、思い付きで行動することが多いので、始めたきっかけがいつも思い出せない)、自然とランニングを始めるようになっていた。幸い場所には恵まれ、自宅から1キロも走れば江戸川の土手に出ることができ、土手道は上流にも、下流にもランニングコースがある。高台になっているため見晴らしは良く、川辺から遠くの街並みまで見通すことができる。
ランニングの流行のおかげで、ランニングライフを支援する、無料のアプリも充実しており、私はNike Run Clubを使っている。操作はとても簡単で、ランニングを開始するときに開始ボタン、終了したときに停止ボタンを押せばよい。すると自分が走った距離、時間、コースが地図とともに表示され、素晴らしいのは1kmごとのラップタイムが表示されるところだ。ランニングコースの高低差も表示してくれる。他にも優れた機能があるのだろうが、それ以上の関心もないのでよく分からない。
ランニングというか運動の効用は、言うまでもないが心と身体を活性化するところだ。私が毎週、気が進まないけれどもジムに行き、ウェイトトレーニングと水泳をしていたのはそのためだ。しかし週に一度のトレーニングでは筋肉の成長には不十分であり、ましてや仕事の都合で休んでしまうと、筋肉は衰え、また一から筋肉を鍛えることを繰り返している、という問題があった。この点について、ジムからランニングへと運動をシフトしたことはいい方向に働いた。病院の宿直やら講演会といった夜の仕事がない日はほぼほぼ毎日走るようになったため、筋肉強化には良い環境になったのである。さらにうれしいことは、ランニングしている間、耳は空いているので、その空いた耳を使って、読書ができるところだ。もちろん読む読書ではなく、聞く読書だ。先ほど引用した『いっきに学び直す日本史』もランニング中に読んだ本の一冊である。
ランニング能力の向上も関心事である。すべてのスポーツに通じることであるが、トップアスリートの動きには無駄がなく、最低限必要なところに、最低限の力しか使わない。ランニングも同じであり、効率よく走るのには、自分が発生した身体の力を地面に上手く伝え、その反動を上手く生かす必要がある。そのメカニズムは自分ではなかなか分からない。そこで、私はトップランナーの走りはどうなんだろうと気にするようになり、ランニングに関する番組を機会あるたびに観るようになったのである。大の長距離嫌いだった私からは想像もつかない、劇的な変化である。
「楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ」(シェークスピア、『マクベス』)。その真意は何だろうか? 箱根駅伝は、大手町・読売新聞社前~箱根・芦ノ湖間を往路5区間(107.5km)、復路5区間(109.6km)の合計10区間(217.1km)を、選抜された20大学と学生連合の全21チームで競う、学生長距離界最長の駅伝競走である。1区間およそ20㎞強を1時間と少しの時間で走る、初心者ランナーの私にしてみたら、鬼神がやる競技なのだ。「〇〇選手、どうしたのでしょう。苦しそうです」とアナウンスが入ったり、各区中継所において、たすきを次の選手に渡すと同時に倒れこむ選手のあまりもの多さを見るにつれ、「楽しんでやる苦労は、苦痛を癒すものだ」などといったセリフは白々しく思えて仕方がない。
それでも、どんなに苦しい気分の中でも、一条の光のように喜びの瞬間が訪れるからこそ頑張れるのも事実だ。朱色に染まった夕暮れ、そして紫へと変化する一瞬の空、江戸川に映る白い月。漆黒のビロードにビーズを散らしたような街並み、虹色で彩色した蝋燭のようなスカイツリー。気が進まないけれどランニングしたからこそ出会える一瞬に違いない。そしてランニング後の入浴は格別であり、安堵と高揚した気分が入り混じる。これを知っているからこそ、また走る気になれると言っても言い過ぎでない。
健康は病人のもの
健康の有り難さを知るものは
健康者ではない病人だ
太陽の美しさを知るものは
南国の人ではない
霧に包まれた北国人だ
自分はレンブラントの中に
最も美しい光を見
中風の病みのルノアールの中に
最も楽しい健康の鼓動をきく(中村彝、洋画家)
高く飛躍するには、一度沈み込む必要がある。どこかで聞いたことのある言葉であるが、私もそう思っている。人の感情とは不思議なもので、快適なことが続くと飽きてしまい、最初に感じた喜びを忘れてしまう。しかし不快なことが続いたあと、特に不快な時期が長ければ長いほど、快適なことに出会ったときの喜びはとてつもなく大きい。苦労と喜びは表裏一体であり、苦労を知ったものだからこそ、気づく幸せがある。
自然の現象を観察していれば分かることだが、同じことは決して続かない。嵐がずっと続くことはないのだ。どしゃぶりの日もあれば晴れの日もある。そして場所が変われば、起こっている事も変わる。どこかが夕闇を迎えているのなら、どこかは朝焼けを見ている。苦労はいつか終わる。
「私は何をするときでも、それがたとえ仕事でも、少し楽しむという姿勢を持つんだ。それで幸せになれる」(スティーヴ・ウォズニアック、Apple創業者)
元旦の朝、雲一つない真っ青な空が広がっていた。太平洋側で生活してきた私にしてみれば、まさしく正月晴れ。ありふれた毎年の景色ではあるが、これだけでも私は最高の気分になれる。しなやかに生きるコツ。苦労にささやかな楽しみを見つけ、走り続けること。きっとその先には大きな悦びが待っていることだろう。