小さな英雄

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
(宮澤賢治、『雨ニモマケズ』より)

今から数年前、長く勤めていた病院、最後の外来の日に、発病してからずっと診ていた患者さんから手紙をもらった。

その手紙には、自分が自分でなくなるのでは、といった不安。家族に悲しい思いをさせた後悔。楽しい事、明るい未来なんてもう来ない、死んでしまいたい、とさえ思ったこと。病気になぜなったのか、病気にならなかったら、ごくごく普通の生活ができたのに、という残念な気持ち。だが、家族や仲間など周りの支えによって、一番良い状態になれたこと。病気になったからこそ出会えた人がいて、病気になったからこそ出会えた仕事もあったこと、など感謝の言葉が綴られていました。

綴られたひとつひとつの言葉は、患者さんだからこそ語られることばかりだったのですが、その中にあった、あるひとつの言葉は、私への最高の賛辞であるばかりか、長く心の中にあった私のある思いに自信を与えてくれました。

「病気は死にたくなるくらい苦しくて辛いけど、私は病気になって良かったと思っています」

医療においてリカバリーは重要なテーマであり、医療に関わる人たちそれぞれの視点から、「リカバリーとは何か」と多く語られています。その現定義は、「人々が生活や仕事、学ぶこと、そして地域社会に参加できるようになる過程であり、ある個人にとっては障碍があっても充実し生産的な生活を送ることができる能力であり、他の個人にとっては症状の減少や緩和である」です。もともと症状の回復を指す言葉で始まったリカバリーですが、医療のみならず福祉関係の支援者、当事者の意見を汲むうちにでしょうか、年々、多義的となり、リカバリーの概念が拡大して来ました。

リカバリーという言葉が人口に膾炙し、徐々に多義化するにつれ、私はこのリカバリーという言葉に違和感を感じるようになりました。リカバリーの原義は、「回復すること、復旧すること」であり、「壊れたり、傷んだものを元の状態に戻すこと」です。ですが、昨今耳にするリカバリーは、症状の減少といったもともとの原義を外れ、障碍があっても充実し生産的な生活をする過程を指すというように、リカバリーの原義とは一致しないものまでも含蓄するようになった。それがひとつの理由です。

また症状の回復を目指した、もともとのリカバリーの概念にも問題点を感じていました。統合失調症患者に対するリカバリーの基準はとても厳しく、いくつかの研究によると、安定している外来患者の寛解率(回復よりも緩い基準)を調査したところ、全体の30%程度しか寛解していなかったといいます。言い換えると、外来患者の7割が回復どころか寛解さえもしていないことになります。統合失調症患者さんは外来患者ばかりではありません。多くの統合失調症患者さんが、入退院を繰り返したり、退院のめどもまったく立たないまま一生入院を続けています。この現実を見ると、寛解や回復といった、多くの統合失調症患者さんにとって達成の見込みのない目標を、治療者目線で掲げることに意味があるのだろうか、と疑問ばかりか憤りさえも感じていたのです。そこで私はある時から、すべての患者さんに共通する目標を考え、再定義しました。それはとても単純なものでしたが、10年以上経った今もまったく変わっていません。それは「自分の可能性を最大限発揮すること」です。これであれば、症状や障碍が仮に残っていたとしても、どんな患者さんでも、自分なりの目標を設定することができます。大切なのは、人に決められた目標ではなく、自分で決めた目標なのです。長く人間を観察していると分かりますが、人は自分のことを他人に決められたくないのです。だからこそ、目標は自分で立てる必要があるのです。

このような事情から、私はリカバリーという言葉の代わりに、再出発(Restart)という言葉を使うようにしています。その理由のひとつは、理論的に完璧なリカバリーは存在しないということです。リカバリーの原義が元の状態にすることだとすれば、症状の回復だけでなく、病気によって生じた尊厳の喪失、社会経済的損失はもちろんのこと、家族が受けた辛い体験なども回復させなければなりません。更に難しいのは時間の喪失です。これは絶対に回復することはできません。ですから、そもそもできない目標を掲げるよりも、新たな価値観で、新たな目標を掲げ再出発する方がより現実的ではないかと私は考えるのです。二つ目の理由として、症状の回復を意味するリカバリーの概念では、仮に症状が全回復しても、「健康」というゼロ基点に戻るだけであり、症状の回復が期待できない患者さんにしてみれば、どんなに努力しても進歩が得られないどころか、常にマイナスに位置するだけです。一方、「新たな自分探しの旅に出る」再出発という概念であれば、再出発地点がゼロ基点ですから、努力すれば努力した分だけプラスになります。つまり小さな成功体験を得やすくなります。小さな成功体験が動機を生むことを考えると、このことは治療習慣の確立に有利に働きます。しかも目標は「自分にとっての最高の自分に出会うこと」ですから、症状の回復を目指さす必要もなく、症状回復の見込みのない患者さんでも色々な目標を設定することができます。実際の治療場面では、再出発を勧めるだけでなく、自分なりの新たな価値観の創出を手助けし、自分が納得できる人生を選択できるように私は働きかけています。

2021年夏、さまざまな意見が飛び交う中、一年遅れて東京オリンピックおよび東京パラリンピックが開催されました。ご存じの通り、パラリンピックは障碍者を対象とした、もうひとつのオリンピックです。22競技539種目が実施され、東京パラリンピックでは、金メダル13個を含め、51個のメダルを獲得し、多くの人に感動を与えたことは言うまでもありません。

パラリンピックは、元々、パラプレイジア(Paraplegia、対麻痺<脊髄損傷などによる下半身麻痺>)とオリンピック(Olympic)の造語から始まったと言われています。その後、半身不随者以外の身体障碍者も参加する大会へとすでに変化していたことから、IOCは1985年、「もう一つのオリンピック」という意味を表すべく、パラ(Para、並行を表す言葉)とオリンピックと造語へと解釈をし直しました。このことは、第二次世界大戦傷痍軍人の社会復帰を進める目的で発祥した「福祉」としての祭典から、障碍者アスリートの台頭による「スポーツ競技」としての祭典へとパラリンピックが変化したことを意味します。この背景には、障碍者当事者や支援する人たちが、障碍を「健康から外れたもの」から「(障碍という)個性」へ考えるようになってきたことにあると考えられます。このことは、リカバリーの原義である、「外れたものを元の路線へと戻す」という従来型の考えがすでに時代遅れとなっていることを意味します。

「病気は死にたくなるくらい苦しくて辛いけど、私は病気になって良かったと思っています」

彼女のこの言葉は、健康から外れた場所から元の道に戻るといったリカバリーの概念から決して出るものではありません。それは、自分なりの新たな地図を作り、新しい目標へ至る道を作ったからこそ出た言葉です。そしてそれは、「リカバリーからリスタートへ」「今の自分にとって最高の自分になる」支援を続けてきた私に、「先生のやっていることは間違っていないよ」と背中を押してくれるメッセージのようなものであり、「私は病気になって良かった」とすべての患者さんが心から思える支援が私の目指す場所なのだと確信させるものでした。

手紙をくれた彼女は、幸い、統合失調症患者にありがちな再発は一度もなく、文字通り順調な回復(リカバリー)をしました。それは私の治療が特別だったわけでもなく、また彼女にだけ特別熱心に治療を行ったわけでもありません。明らかなことは、彼女の心に「治る力」があったからに過ぎません。

一方、彼女とはことごとく正反対の結果になる人もいます。こちらが考えうる最良の治療を提供しても、さまざまな理由や言い訳を口にして、受け入れようとしなかったり、得られた成果に満足できず治療を放棄したり、単に粘り強さを欠いていることもあります。

このように同じ治療方針や方法を提供しても、その人がもつ「治る力」によって成果がまったく異なることは、私が精神科医として働き始めていた当初から気づいていました。「治る力」がある人とそうでない人の違い。これはのちに述べる「幸せのメソッド」の開発のヒントとなったものですが、その中での一番のポイントは、現状を謙虚に受け入れる、ということ。そしてささやなか変化に悦びを感じ、感謝の気持ちを持てること、といえます。

患者の治療過程において最も重要なものは、本人の動機です。自分の病気を克服しようとする気概です。これは明らかに、「治る力」を持った患者さんの方が、そうでない患者さんよりも明確です。そして、「治る力」のある人は、小さな治療成果でも満足度が高いため、治療の継続、積み重ねができ、粘り強いのです。このような「治る力」のある人に共通する特性は、病気を克服するだけでなく、幸せな人生を歩むのにとても有利であると私は考えています。そこで、私はこれらの特性を「幸せのメソッド」としてまとめ、疾患を抱えた人だけでなく、その他多くの人に伝えることに意味があるのでは、と考えました。

令和3年1月より、「幸せのメソッド」を入院している私の患者さんへ毎月一度、試験的に行っています。患者さんの集中力を考え、一回のセッションは一時間です。毎月学ぶべき、そして実践すべきテーマを決め、そのテーマについて患者さんたちに自身の経験や考えを話合わせ、その後「幸せのメソッド」的思考スタイルを私が解説します。これまでのテーマは「あなたにとって幸せとは何ですか?」「感謝したこと、されたこと」「人生で達成したい夢や目標は何ですか?」など多岐に渡ります。

幸せのメソッドを効果あるものにするために、二つの大きな約束を私は彼らにお願いしています。ひとつは覚悟を持つ、です。その覚悟とは、「幸せになる」(目的意識)と「今を精一杯生きる」(現在意識)、です。もうひとつは行動に移す、です。「幸せのメソッド」に限らず、行動はとても大切です。幾万の言葉を語ったとしても、ひとつの行動に勝るものはありません。人は行動によってのみ評価されます。これは経験から学んだ私の考えであり、「万読不如一行」と表現し、何千回、何万回と本を読んだり、人から聞いて学んだとしても、自分で考えた一回の実践に決して敵うものはないと、実践を積極的に勧めます。

行動に移す、意味をもう少し説明しましょう。現在(自分)を変えられるのは習慣の変更だけです。その理由は簡単なことで、刺激>習慣>反応(行動と感情)といった事象の連綿が一個の個人に起こっています。言うまでなく、刺激は我々が制御したり、関与できる範囲には限りがあります。習慣は、与えられた刺激に応じて、その後の反応をほぼ自動的に引き起こします。ですから、習慣が変わらない限り、人はいつも同じ行動を取ります(私はこれを心の慣性法則、と呼んでいます)。こういった理由から、現在(自分)を変えるためには習慣を変えるしかないのです。習慣を変える方法はここでは割愛しますが、読んだり、聞いたり、考えたり、といった認知思考だけで習慣を変えるのは困難であり、学んだことをまず行動に移し、実践から体得したことを次の行動に反映する。その連綿によってようやく自分にあった習慣が形成されます。だからこそ行動に移す、ことが重要なのです。

二つ目の理由は、これは私の持論になりますが、思考や感情を変えたいのであれば、心の器である身体から変えてしまった方が早く成果が得られる、です。「水は方円に随う」という言葉がありますが、心が水、身体が器だとすると、心は身体に随う性質があります。悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ、という言葉を皆さんどこかで聞いたことはないでしょうか? すべてでないにしても、これは事実です。笑うという行為をしながら、悲しい気持ちを続けることは難しいのです。すべての芸道が形から入るのもこの事実によるのだと思います。正しい形には、(その芸の)正しい心が宿るのです。だからこそ、私は、行動に移すことを何よりも大切にし、幸せになるために必要な思考スタイルを行動に落とし、それを習慣とするよう指導しています。

皆さんはネイビーシールズ(Navy SEALs)、米国海軍特殊部隊を知っているだろうか。SEALsという名称が、海(SEa)、空(Air)、陸(Land)のアルファベットの頭文字から成ることから分かるように、海、空、陸あらゆる場所で特殊作戦を実行する部隊である。必要とあらば北極圏水中といった過酷な環境でも、与えられたミッションを実行する。従来、関わった作戦や任務を退役した隊員が語ることは憚られていたようだが、近年、みずから関わった作戦や任務の一部を元隊員が公表し、書籍や映画、ドラマなどを通じてその様相を知られるようになっている。そして近年では、過酷な訓練、過酷な実戦、いわば修羅場をくぐってきたネイビーシールズ隊員のメンタルタフネスに注目が集まっている。

ネイビーシールズ入隊志願者は、5週間の基礎教育課程後、米軍で最も過酷とされる基礎水中爆破訓練を約半年受ける。この訓練課程でおおよそ8割近くが脱落する。メンタルタフネスという視点からとても興味深いのはその訓練方法である。この訓練では、極限状況に追い込むだけでなく、不確実性が高く、必ず失敗する状況を志願者に何度も何度も経験させる。だがこのような過酷な状況において、放っておいた小さなミスでも作戦の最終的な失敗を来すことから、ミスを見つけた時点で速やかに適切な対処をすることが常に求められる。このような訓練により彼らは、どんなに不確実性が高い状況においても、酷い現実とみずからの失敗を受け入れ、「失敗の中で前進」し続けることを学習するのである。

ネイビーシールズ元隊員が語る境地には学ぶべきポイントがたくさんあるが、その中でも最も重要だと感じたのは、自分がコントロールできることだけにエネルギーや時間を注ぐ、ということである。これは「幸せのメソッド」の基本的な考え方(現在意識)であり、講義の当初から繰り返し繰り返し患者さんに伝えてきていることでもある。

パラリンピックの選手たちが私たちに感動や奮起を与えてくれるのは、抱えている障碍を受け入れ、そして自分たちなりの最高のパフォーマンスを我々に見せてくれることに他ならない。障碍を嘆いたり、恨んだりするのでもなく、最高の笑顔で最高の技能を発揮しているからに他ならない。「リカバリー」といった健康への道のりを歩もうとする努力を我々に示しているのではなく、障碍といった個性の上に自分なりの、新たな世界と価値観を伝えているからに他ならない。そこには、健常者目線のリカバリーの概念を超越した世界があるからなのです。

宮澤賢治で有名な詩のひとつに「雨ニモマケズ」があります。これは賢治の没後、手帳に書かれたメモとして発見されました。詩というより、本人の決意であったり、願いであったように私は感じます。冒頭の部分を引用しましょう。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

この詩を取り上げたのは、この詩に「幸せのメソッド」と相通ずるところが多数みられたからです。冒頭のこの部分は「幸せのメソッド」の「現状を謙虚に受け入れる」を別の言い方で表したようなものですし、シールズ元隊員が語った境地のひとつでもあります。この冒頭部分を、「幸せのメソッド」的にあえて書き換えると次のようになるでしょう。

私は雨を受け入れます
私は風を受け入れます
そして雪も夏の暑さも受け入れます
しなやかな心と体を持ち
(幸せになるための)正しい動機を持ち
決して瞋らず
いつも快活に笑っています

この詩の後半には次のような文があります。

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ

この考えも「幸せのメソッド」にある、他人の評価を気にせず、自分の価値は自分で決める、とほぼ同様の内容と言っていいでしょう。この文を「幸せのメソッド」的に書き換えると、こうなるでしょうか。

誰かに批判されても聞き流し
誰かに褒められることも期待せず
誰に関心を持たれなくても気にせず
自分の価値は自分で決める

パラリンピックの選手、シールズの隊員は、自己や環境にある過酷な現実を受け入れ、自分を信じ、そして最高のパフォーマンスを実践した人たちばかりです。そして、誰も乗り越えられそうにない障碍を克服したその行動が人々に感動を与えたからこそ、皆さんの注目を浴びました。それはそれで素晴らしい、と私は素直に思います。

ですが、過酷な現実を受け入れ、自分なりの最高のパフォーマンスを実践したのは、パラリンピックの選手やシールズの隊員ばかりではありません。私に手紙をくれた患者さんを筆頭に、この世には誰にも知られることのない多数の英雄がいるのです。過酷な現実は、病気だけに限りません。自然災害であったり、人的災害であったり、さまざまな出来事が私たちの心と体を脅かします。東日本大震災、それに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から、すでに12年も経とうとする今でも、約3万9000人の方々が、全国47都道府県914市区町村で避難生活を余儀なくされています。でもこの多数の英雄たちは、現実を受け入れ、時には不平不満を漏らすこともあったかもしれないけれど、自分なりの幸せを手に入れるために前進を続けています。彼らにはパラリンピックの選手やシールズの隊員のような華やかな経歴はありません。賢治の詩にあるように、時には「ミンナニデクノボートヨバレ」そして「ホメラレモセズ クニモサレズ」の生活をしています。そのような彼らに思いを馳せると、私には到底できないであろうことをやってのけている、彼女、彼らを心の底から尊敬し、誇りに思うのです。

2017年末、ローマ教皇フランシスコが「戦争がもたらすもの」という言葉と彼の署名を添え、世界の教会に配布したことで有名となった、『焼き場に立つ少年』という写真があります。米国従軍カメラマンだったジョー・オダネルが撮影したもので、原題は「焼き場にて、長崎1945年」です。

オダネル氏は被爆後の広島、長崎を私用カメラで300枚ほど撮影していていました。そのフィルムは43年に渡り封印されていましたが、1989年、「核戦争を繰り返さないことに役立つなら」と写真展を開きました。幼子を火葬にする少年の当時の様子を彼は次のように語りました。

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
10才くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶ紐をたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやって来たという強い意志が感じられました。しかも彼は裸足です。少年は焼き場の渕まで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
少年は焼き場の渕に、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気づいたのです。男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それから眩いほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がついたのは。
少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりと踵を返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした」

時も、場所も、少年の置かれた状況も何一つ分からず、たった一枚の写真と撮影者の語りから、その少年の気持ちを到底分かるとは思ってもいません。ですが、写真に写る、毅然とした姿勢と表情は、美化していると言われるのも承知で言いますが、現実を受け止め、自分なりに精一杯に生きる覚悟を感じます。けれども、その覚悟と生きざまは誰に褒められるのでもなく、誰に見られるのでもなく、ひそやかに行われている。これこそまさしく、「幸せのメソッド」を体現している姿であり、長崎の小さな漁村の、わずか10歳ほどの少年が成し遂げていることに驚きを感じると同時に、少年に重くのしかかる過酷な運命に思いを馳せると、「小さな英雄よ、頑張れ!」と心から祈る気持ちになるのです。

少年の行方は誰も知りません。ですが、私の心の中で、「小さな英雄」として、「永遠の希望」として彼は生き続けています。

(補足1)瞋は、仏教が教える煩悩のひとつ。瞋恚(しんに)ともいう。怒り恨みと訳される。憎しみ。嫌うこと、いかること。心にかなわない対象に対する憎悪。自分の心と違うものに対して怒りにくむこと(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。


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