微熱中年

これは、2016年、式場病院文集『こもれび』の巻頭言に寄せた拙文である。手間を掛けず文を膨らませるため、昔書いた歌集を入れ子にして投稿したところ、「これでは文集全部が巻頭言になってしまいます」と言われてしまい、「やっぱダメかぁ」と歌集部分の大半を割愛してようやく脱稿できたものである。

「聞き上手」になることはとても難しい。仕事の場面でも、プライベートの場面でも、ついつい喋り過ぎてる自分にふと気づき、その都度、「どうしてもっと相手の話を聞かなかったんだろう」とひたすら反省する。

優れた医師はおそらく喋らずとも患者が治っていくのであろう。しかし患者さんやそのご家族を理解させようと熱心に話している自分は、まだまだ平凡な医師なんであろう。言葉というものは、洗練されれば洗練されるほど、少ない言葉でより多くの効果を生むようになる。究極には何も話さず、豊穣な思想世界を相手に伝えることができるようになるのである。

日本は神道の国であり、森羅万象、この世にあるすべてに神が宿るという「八百万の神」を信じてきた。人間の発する言葉もその例に漏れず、『言霊』といって言葉さえも畏怖の対象としていた。そのため、日本中にあまねく存在した言霊『和歌』の編纂は天皇の大切な事業のひとつであり、古今和歌集を始め、多くの勅撰和歌集が作成された経緯がある。

「そういえば王朝文学に傾倒したおかしな現代歌人の歌集があったな」とふと思い出し、書棚にある本をひとつひとつ辿ってみた。

「あった!」

安っぽいコピー用紙を束ね、ちょうど今回原稿の依頼をされた『こもれび』のように緑色のテープで製本されていた歌集が見つかった。

 

きさみしもの 狩野 雅允

序文

この和歌集はかねてより(とはいっても2ヶ月ほど前からのことですが…)私淑している藤原定家先生に教えを請うために書かれたものであります。しかし、定家先生は八百年ほど前にこの世をお去りになられ、直接教えを請うことができないことが最近判明いたしました。たいへんに残念なことです。一度は反古にしてしまおうとも思ったのですが、捨てられる歌たちのことを思いやると、そのまま反古にしてしまうのはあまりに忍びない、定家先生なき今日、まことに恥ずかしいことではありますが皆人にお見せする次第となったのであります。(中略)

「この和歌集の狙いは、①王朝風であること、②艶であること、③斬新であること、④個性的であること、⑤物語性に富んでいること、です。いわば、平成の『伊勢物語』の和歌集とでも思っていただけたら幸いです。時代遅れである、甘美すぎる、などの批判を受けるかも知れませんが、甘美の程は先生が撰者をなさった『新古今和歌集』『小倉百人一首』の範囲内に収めたつもりです。それよりも、批判されるべきはむしろ、現代の歌壇の諧謔性、あるいは「褻」に片寄りすぎた退屈なリアリズムにあると思うのですが、先生はどう思われますか? ひょっとしたら、「それは君、勉強不足だよ。現代の歌人でもうまい詠み手はいるよ。」とも言われかねませんが…。最終的な狙いは、現代の歌壇で詠われなくなった伝統芸能『和歌』を復活させることです。いったい今の歌で色があり『百人一首』の歌として詠めるものがあるでしょうか。たいへん気負った発言に思われるかもしれませんが、それくらいの意気込みなくては、このような王朝風の和歌集をいまどき書こうとは思わないのではないでしょうか。『いとめでたし』と先生にいわれる作品をそろえてみました。(中略)

夢見つつ

物憂き眼 きさみしものは 乳香の
やさしき霧と あかね色の夢

(五十首のうち二十首は別に掲載)(中略)

あとがき

この短歌集は第46回角川短歌賞(平成十二年)に応募するために作られたものです。角川短歌賞に応募しようと思い立ったのが今年二月上旬。短歌を詠み始めてまだひと月足らずのことでした。短歌を詠み始めるきっかけははっきりと覚えていないのですが、おそらく小説のための修練にでもと安易に始めたのがきっかけだったと思います。けれども、当初の思惑とは異なり短歌の面白さに引きずり込まれ、挙げ句の果てには角川短歌賞にまで応募する気にもなったのは、ある意味ではうれしい誤算でした。と同時に、あまりにも無謀な試みでした。その理由はいうまでもなく、短歌にはまったく無知であったこと、身近に短歌の指導を受けられる環境になかったことです。けれども無知ならではの無謀さがこの短歌集に妖艶さや新鮮さにエネルギーを与えることができたのではないかと、今となっては自分の無知に感謝しています。(中略)

さて、角川短歌賞の結果が発表されるのは今年の秋。結果は気にしていないといえば嘘になりますが、心はすでに次回の作品に向いています。短歌集という売れない出版業界のお荷物をどうやって大衆にアピールするか、芸術性をどうやって維持するかといったこの二つの相反する問題をいかにクリアーすべきかが今、私の頭の上に大きくのしかかっております。どのような解答が出せるかは分かりません。けれども、この相反する問題をこの短歌集を作ったときと同じように、初参者ならではの爆発的なエネルギーで立ち向かっていこうと考えています。

二〇〇〇年 初夏 狩野 雅允 きさみしもの

二〇〇〇年 六月一日 第一刷発行

著者 狩野 雅允 発行者 狩野 雅允

 

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「中年にもなっていい大人が、どうも微熱に犯されていたみたいだな」

あれから十六年が経っている。今頃、どうしているんだろう。再び何かに取り付かれてバカなことをやっているに違いないだろう。そう思いつつ、手作り感のある歌集を書棚に戻した。

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