エッジを効かせる

A birthday card from a patient and her familly
患者さまとご家族からいただいた誕生日カード

皆さま、お誕生日メッセージをどうもありがとうございました。私からは誰ひとりとして、誕生日メッセージを送っていなかったにもかかわらず、見捨てられることもなく、誕生日メッセージをいただけることは本当に幸せ者だと感じます。

式場病院へ転職してあと少しで2年になろうとしています。臨床のかたわら、病院経営のカイゼンに悪戦苦闘し、思うように成果が出ない砂を食むような毎日を送っています。しかし不思議なもので、どこの町にでもありそうな中華食堂ならとっくに潰れているだろうという台所事情でも、病院は生き延びている。きっとそんな温い業界事情だからこそ、医療業界は他の業界にくらべると、とんでもなく危機意識がなく、経営管理もお粗末なんだろうと思うこの頃です。

先日、ソフトブレーン・サービス株式会社が主催する、営業プロセスマネジメント大学の年間アワード発表会に参加しました。これまで属人的だったトップセールスマンの営業スキルを、誰にでも習得できる営業プロセスへと昇華させ、再現性のある営業スキルを伝授するという研修をこの会社は行っており、そこで学んだ多彩な企業の中から、今年成果をあげた10社がアワードを受けプレゼンをしました。

「うちの会社は特別だから」「この業界は特別だから」といった言い訳をよく聞きますが、営業プロセスマネジメント大学で研修を受け、そして成果を出した数多くの企業の姿を見ると、それはやはり言い訳に過ぎないことを痛切に感じ、医療業界も他の業界とまったく同じものだと改めて認識させられました。

「うちの病院は重い患者が多いから」などと向精神薬の多剤大量療法が漫然と行われ、長期在院が平然と行われている事情も、結局は「心の慣性法則」にしたがって、変わろうとしない理由をただ口にしているようにしか思えないのは私だけでしょうか。

このような「心の慣性法則」による弊害は、精神科医師、精神科病院、医療業界だけでなく、社会全体に漫然とあり、これはヒトが生まれたときから現在までずっとあるように思います。「人類は進歩なんかしていない。なにが進歩だ。縄文土器の凄さを見ろ。皆で妥協する調和なんて卑しい」と「人類の進歩と調和」といった1970年万博のテーマを真っ向から否定した岡本太郎の慧眼には改めて驚かされます。

「裸の王様」というアンデルセンの有名な童話は皆さんご存知でしょう。子どものころ、この本を読んだ感想は、「どうしてあんな簡単なことが気づかないんだろう」と王さまはもとよりその取り巻きたちの気づかさなを不思議に思っていましたが、大人になってその意味を改めて考えてみると、渦中にいる、中心にいるとその理不尽さやおかしさ、非合理性に気づかない。そして傍から見るととんでもなくおかしいということは日常のようにあるんだよ。だから気をつけないといけないとアンデルセンの深い寓話性に感嘆させられます。

「エッジを効かせる」

本来の使い方とは違う使い方になりますが、どこか中心ではない、外れの位置から自分の業界を外観する。そして常に外の世界から新しい風を送る。これが私に期待されていることではないかと思う今日この頃です。

「科学と慈愛」という15歳のピカソによる衝撃的デビュー作があります。これから死なんとする患者の手を取る医師(科学の象徴)と、温かく見守る修道女と子ども(慈愛の象徴)が、患者をはさんで対比される構図を持っています。解釈は色々あるのでしょうが、おそらく当時は、新興する「科学」と、旧来の「宗教」の対立構造を意識したものではないかと思います。

しかし、私は対立ではなく、「慈愛」を具現する方法のひとつとして「科学」があるものだと思いますし、すべての企業の理念は、ユーザーへの「慈愛」を具現化するものであって欲しいと思います。ですから「科学」と「慈愛」は決して対立するものではなく、どちらも決して欠いてはならないものだと考えます。

私の誕生日の前日、患者さまとそのご家族からお誕生日カードをいただきました。その一節に、「毎日を無事に過ごせる事の幸せを日々感じております」というお母さまからの言葉があるのですが、「ほんのささやかな事だけれど、だけどとっても大切な事」を感じる心を持っていただけるように、患者さまやご家族と日々仕事をしたいものだと思います。

「ようやく子どものような絵が描けるようになった」というピカソ晩年の言葉がありますが、この言葉を胸に、「エッジの効いた」一年を過ごしてみたいと思います。

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