これは、2012年7月10日、東京都福祉保健局主催による平成24年度講演会「こころの不調かな? 早期の気づきとじょうずな受診のしかた」において発表した内容を要約したものである。
1.自殺の背後に潜む精神疾患の存在
認知症介護者が将来を悲観し、要介護者を道連れに心中を図る・要介護者を殺害する「介護殺人」事件が毎年、全国各地で生じている。保坂隆らが2005年に在宅介護者を対象に行った『介護者の健康実態に関するアンケート』によると、回答した8500人中、約4人に1人がうつ状態で、65歳以上の約3割が「死にたいと思うことがある」と回答した。介護殺人の裁判でも、介護を担っていた被告にうつが疑われた事例が少なからず確認されている。
湯原悦子は1998年以降、地方紙を含めた全国各地の新聞30紙を用いて介護殺人の動向について調べている。『認知症介護における介護者のうつを考える』の中で、「介護疲れなどのストレスが重なったとしても、「殺したいと思う」ほどつらかったとしても、ほとんどの介護者は要介護者を殺しはしない。周囲に助けを求める、保健医療福祉サービスを利用するなどして、なんとか日々の生活を続けている。しかし、ごくまれに要介護者を殺害、あるいは心中するケースが見られる。それらの背景を調べると、うつが事件発生に大きく影響していることに気付く」と語っている。
「東京電力福島第1原発事故で警戒区域に指定されている福島県浪江町に27日に一時帰宅し、行方不明になっていた自営業男性(62)が、同町内で首をつって死亡しているのを消防団員が28日、見つけた。死因は窒息死で、県警は自殺とみて調べている」と2012年5月28日毎日新聞は報じている。県警によると男性は原発事故後、福島市内の借り上げ住宅に妻と父の3人で避難。妻に「生きていても仕方がない」「夜眠れない」などと話し、睡眠導入剤を服用していたという。この記事からだけで精神疾患の存在を憶測するのは行き過ぎかもしれないが、「うつ病」による自殺は否定できない。
1998年、それまで年間2万人代前半で推移していた自殺者が3万人を超え、それ以降は3万人を超える高い水準で推移している。自殺者が急激に増えた1998年当時の日本の経済状況を調査すると面白いことが分かる。バブル崩壊により低迷を続けていた日本経済がようやく立ち直りの兆しを見せた1997年、景気回復より財政再建を優先する超緊縮予算が組まれ、消費税が3%から5%へ上昇した(橋本構造改革)。景気は再び急速に悪化し、同年4月には日産生命を始めとして、長銀、日債銀、拓銀、そして山一証券が破綻。金融不安による貸し渋りが基礎体力の企業の設備投資意欲を削ぐような形となった。消費税2%増税で24931人から32863人への自殺者増加なので、2012年消費税5%増税法案成立により自殺者がどれほど増加するのだろうかと非常に危惧される。
Bertoloteらは、精神科入院歴のない自殺既遂者8205例(複数診断入れて総診断数12292例)を診断したところ、気分障害35.8%、物質関連障害22.4%、統合失調症10.6%などと診断され、診断名がつかなかったものはわずか3.2%に過ぎなかったと報告している。飛鳥井は自殺企図者の75%に精神障害を認め、精神障害を認めた方々の46%がうつ病、26%が統合失調症、18%がアルコールを含めた物質依存だったと報告している。このことを踏まえ、厚生労働省は自殺対策においてうつ病対策を中核と位置付けている。
2.高齢者のうつを当たり前と思わない
高齢者のうつ病の頻度は、欧州で行われたメタ解析で、65歳以上の患者が全体の12.3%を占めると報告されている。我が国では1998年以降、自殺者が3万人を超えているが、60歳以上の自殺者は1万人を超え続けており、全自殺者の3分の1を占めている。米国の統計によると高齢者の自殺率は一般人口の約2倍に、既遂者は若年うつ病の2~4倍に達している。
認知症(Dementia)、うつ状態(Depression)、せん妄(Delirium)。高齢社会が急速に進む現在、これら「3つのD」精神疾患患者は精神科よりまず一般開業医を受診する機会が多くなっているという。高度のうつ状態に認められる「仮性認知症」の存在、うつ状態と認知症の合併しやすさなどにより、認知症とうつ状態の鑑別は容易でない。その一方、「高齢者の気分の落ち込みを老化に伴う当然な状態と捉え、治療対象とすべきうつ病が過小診断されている」(木村真人)、「たとえ米国における高齢者の睡眠の質が若年成人より実際には劣るとしても、睡眠についての主観的評価は、加齢に伴い向上している。今回の結果を踏まえると、高齢者は疾患や抑うつなどの要因がなければ、より良い睡眠を報告する傾向にあり、そうでなければ医師に相談する必要がある。睡眠障害を軽視すべきではない」(Grandner)とあるように、高齢者のうつ、あるいはそれに伴ううつ症状を軽視する一般的傾向に警告する向きもある。
3.自分のことはよく分からない
精神科を訪れる患者さんの多くは、「自分」の状態をよく分かっていない。軽視する向きもあれば、過大視する向きもある。適切な診断・治療には周囲の人の協力が不可欠であり、たとえば躁状態における本人の自己評価はおおよそあてにならない。軽躁状態は本人はもとより周囲も気づかない(問題視)しないことがほとんどである。2011年秋に逝去された作家であり精神科医でもあった北杜夫氏は双極性障害でも有名な方だが、北氏とその長女の共著『パパは楽しい躁うつ病』の中で、北氏とその家族が同氏の躁状態に振り回されている姿がありありと描かれており、「自分」の状態を精確に評価することの難しさを垣間見ることができる。
また精神科を訪れる患者さんだけでなく、その家族自身も「自分」のことをよく分かっていないことも多いように思える。介護殺人にみるように、認知症介護に関わっている家族のストレスは多大なものであり、「自分」の状態を知らないがゆえに悲劇が起きたのではと思われるケースも多数ある。双極性障害の患者さんの状況を知るために、その奥さんに事情を聞いていたところ、「『お前が病院に連れて行ったから病気が重くなった』と本人にさんざん責められてどうしたら良いか分からなくなっていた」と涙ながらに私に話してくれたことがあり、本人のみならず家族に対するメンタルケアの重要性に改めて気付かされたことがある。
「自分」の状態がよく分からないこのような事情を踏まえれば、かかり始めはもちろんのこと、かかってからも本人任せにせず、その支援者は適切な時機に医療機関を受診することの大切さが分かるものと思う。
4.今日の一針、明日の一針
今日縫えば一針で済むほころびも、放っておくと次第に大きくなって十針も縫わなければならなくなる。何事も処置が遅れると、あとで苦労することのたとえであるが、精神科治療においてもまったく同じことが言える。
認知症には、血管性認知症・正常圧水頭症・慢性硬膜下血腫・甲状腺機能低下症といった予防や治療が可能な認知症と、アルツハイマー型認知症・レビー小体型認知症・前頭側頭型認知症といった根本的な治療が困難な認知症の2別があるが、そのいずれも早期受診の重要性が叫ばれている。しかし実際はそうではない。物忘れ外来を受診したアルツハイマー型認知症358人を調査した川畑信也によると、その初診時のFAST分類をみると高度にあたるFAST6以上の患者が半数を占めており、実に多くの患者が認知症治療に抵抗する時期で来院していたという。
早期受診が大切なことは他の精神疾患についてもまったく同じである。しかし「精神科、行きたくないな」「間違っていたらどうしよう」などさまざまな理由により受診をためらわれることが多いと思う。しかし杞憂を恐れず、ふだんと少しでも様子が違っていたら、周囲の人は心配する・気にかける・関心をもっていただきたい。「ふつうじゃない」「ちょっと変だな」といった違和感を大切にすべきだと思う。
現在の病院(葛飾橋病院)に勤務して間もない頃、うつ病の患者さんが来院した。数回目の受診のとき、いつもと違って表情が暗く、口数も以前より少なく、何か考え込んでいるようだった。睡眠とか食欲とか尋ねても「以前と同じです、大丈夫です」というのだが、どうもそんな風に思えない。そこでいったん診察を終えたふりをして待合室に戻ってもらい、改めて「○○さんのことが心配でもう一度お話を聞きたくなりました」と口を切り、「死ぬことを考えていませんでしたか?」と尋ねてみると、「なぜ分かったんですか」と驚き、来院するまでの辛い思いを堰を切ったように話し出した。そして改めて「死なない」約束を交わし処方を調整し、帰宅してもらった。その患者さんは今でも私の外来に通っており、もう25年のうつ病の戦友でもある。
最後に支援者の方に。一人ですべてを抱え込もうとしないで欲しい。「心にゆとり」「笑顔のある生活」「頑張り過ぎない」「一人でしっかり立てて初めて支援」「何はともあれお金・体力・心」「行政・民間・家族会など使えるものはちゃっかり使おう」を心に刻んで楽しく患者さんを支援していただくことを願う。
引用文献(引用順)
1)保坂隆.厚生労働省老人保健事業推進費等補助金(老人保健健康増進事業分)介護者のうつ予防のための支援の在り方に関する研究.2006
2)湯原悦子.認知症介護における介護者のうつを考える.週刊医学界新聞 第2929号:6,2011
3)Bertolote JM et al. Suicide and psychiatric diagnosis: a worldwide perspective. World Psychiatry 1(3): 181-185, 2002
4)飛鳥井望.自殺の危険因子としての精神障害 -生命的危険性の高い企図手段をもちいた自殺失敗者の診断学的検討.精神神経誌 96:415-443,1994
5)木村真人.-急激な増加を示すうつ病・認知症の診療-プライマリケア医が担うべき役割とは.Medical Tribune 2012年5月24日 メンタルヘルス特集: 69, 2012
6)Grandner MA et al. Age and sleep disturbances among American men and women: data from the U.S. Behavioral Risk Factor Surveillance System. Sleep 35(3):395-406, 2012
7)川畑信也.物忘れ外来からみた高度アルツハイマー型認知症の実態と対策.高度アルツハイマー型認知症適応拡大記念 アリセプトTVシンポジウム.2009