組香の愉しみ

これは、2011年8月、聖徳大学生涯学習課 聖徳大学オープン・アカデミー(SOA)が発行するSOA NEWS NO.38に、香道プログラム紹介のために寄稿したものである。

美登利、信如、霜の朝、水仙。或る年の11月に行った香席に登場した名前である。11月の「一葉忌」に相応しい香席として『たけくらべ』を題材に香を組んだ。特殊な事情を除けば、香席≒組香といっていいほど、組香は香道の重要な要素であり、数種の香木を数回焚き、その出現順序を当てるといった至極単純な香りあて遊戯を、芸術にまで足らしめ、僅か数ミリの香木から知的営みを引き出すことを成功させたのは組香の功績といっても過言ではない。これまでに、たけくらべは元より、銀河鉄道の夜、トゥランドットなど古典文学に囚われず、様々な分野から題材を探し、匂いだけでなく知的興奮を満たすことができる組香に腐心してきた。香道の愉しみは一生、尽きることはないのだ。


こころの声、聞こえていますか?

あなたはひとりじゃない。

これは、2012年7月10日、東京都福祉保健局主催による平成24年度講演会「こころの不調かな? 早期の気づきとじょうずな受診のしかた」において発表した内容を要約したものである。

1.自殺の背後に潜む精神疾患の存在
認知症介護者が将来を悲観し、要介護者を道連れに心中を図る・要介護者を殺害する「介護殺人」事件が毎年、全国各地で生じている。保坂隆らが2005年に在宅介護者を対象に行った『介護者の健康実態に関するアンケート』によると、回答した8500人中、約4人に1人がうつ状態で、65歳以上の約3割が「死にたいと思うことがある」と回答した。介護殺人の裁判でも、介護を担っていた被告にうつが疑われた事例が少なからず確認されている。

湯原悦子は1998年以降、地方紙を含めた全国各地の新聞30紙を用いて介護殺人の動向について調べている。『認知症介護における介護者のうつを考える』の中で、「介護疲れなどのストレスが重なったとしても、「殺したいと思う」ほどつらかったとしても、ほとんどの介護者は要介護者を殺しはしない。周囲に助けを求める、保健医療福祉サービスを利用するなどして、なんとか日々の生活を続けている。しかし、ごくまれに要介護者を殺害、あるいは心中するケースが見られる。それらの背景を調べると、うつが事件発生に大きく影響していることに気付く」と語っている。

「東京電力福島第1原発事故で警戒区域に指定されている福島県浪江町に27日に一時帰宅し、行方不明になっていた自営業男性(62)が、同町内で首をつって死亡しているのを消防団員が28日、見つけた。死因は窒息死で、県警は自殺とみて調べている」と2012年5月28日毎日新聞は報じている。県警によると男性は原発事故後、福島市内の借り上げ住宅に妻と父の3人で避難。妻に「生きていても仕方がない」「夜眠れない」などと話し、睡眠導入剤を服用していたという。この記事からだけで精神疾患の存在を憶測するのは行き過ぎかもしれないが、「うつ病」による自殺は否定できない。

1998年、それまで年間2万人代前半で推移していた自殺者が3万人を超え、それ以降は3万人を超える高い水準で推移している。自殺者が急激に増えた1998年当時の日本の経済状況を調査すると面白いことが分かる。バブル崩壊により低迷を続けていた日本経済がようやく立ち直りの兆しを見せた1997年、景気回復より財政再建を優先する超緊縮予算が組まれ、消費税が3%から5%へ上昇した(橋本構造改革)。景気は再び急速に悪化し、同年4月には日産生命を始めとして、長銀、日債銀、拓銀、そして山一証券が破綻。金融不安による貸し渋りが基礎体力の企業の設備投資意欲を削ぐような形となった。消費税2%増税で24931人から32863人への自殺者増加なので、2012年消費税5%増税法案成立により自殺者がどれほど増加するのだろうかと非常に危惧される。

Bertoloteらは、精神科入院歴のない自殺既遂者8205例(複数診断入れて総診断数12292例)を診断したところ、気分障害35.8%、物質関連障害22.4%、統合失調症10.6%などと診断され、診断名がつかなかったものはわずか3.2%に過ぎなかったと報告している。飛鳥井は自殺企図者の75%に精神障害を認め、精神障害を認めた方々の46%がうつ病、26%が統合失調症、18%がアルコールを含めた物質依存だったと報告している。このことを踏まえ、厚生労働省は自殺対策においてうつ病対策を中核と位置付けている。

2.高齢者のうつを当たり前と思わない
高齢者のうつ病の頻度は、欧州で行われたメタ解析で、65歳以上の患者が全体の12.3%を占めると報告されている。我が国では1998年以降、自殺者が3万人を超えているが、60歳以上の自殺者は1万人を超え続けており、全自殺者の3分の1を占めている。米国の統計によると高齢者の自殺率は一般人口の約2倍に、既遂者は若年うつ病の2~4倍に達している。

認知症(Dementia)、うつ状態(Depression)、せん妄(Delirium)。高齢社会が急速に進む現在、これら「3つのD」精神疾患患者は精神科よりまず一般開業医を受診する機会が多くなっているという。高度のうつ状態に認められる「仮性認知症」の存在、うつ状態と認知症の合併しやすさなどにより、認知症とうつ状態の鑑別は容易でない。その一方、「高齢者の気分の落ち込みを老化に伴う当然な状態と捉え、治療対象とすべきうつ病が過小診断されている」(木村真人)、「たとえ米国における高齢者の睡眠の質が若年成人より実際には劣るとしても、睡眠についての主観的評価は、加齢に伴い向上している。今回の結果を踏まえると、高齢者は疾患や抑うつなどの要因がなければ、より良い睡眠を報告する傾向にあり、そうでなければ医師に相談する必要がある。睡眠障害を軽視すべきではない」(Grandner)とあるように、高齢者のうつ、あるいはそれに伴ううつ症状を軽視する一般的傾向に警告する向きもある。

3.自分のことはよく分からない
精神科を訪れる患者さんの多くは、「自分」の状態をよく分かっていない。軽視する向きもあれば、過大視する向きもある。適切な診断・治療には周囲の人の協力が不可欠であり、たとえば躁状態における本人の自己評価はおおよそあてにならない。軽躁状態は本人はもとより周囲も気づかない(問題視)しないことがほとんどである。2011年秋に逝去された作家であり精神科医でもあった北杜夫氏は双極性障害でも有名な方だが、北氏とその長女の共著『パパは楽しい躁うつ病』の中で、北氏とその家族が同氏の躁状態に振り回されている姿がありありと描かれており、「自分」の状態を精確に評価することの難しさを垣間見ることができる。

また精神科を訪れる患者さんだけでなく、その家族自身も「自分」のことをよく分かっていないことも多いように思える。介護殺人にみるように、認知症介護に関わっている家族のストレスは多大なものであり、「自分」の状態を知らないがゆえに悲劇が起きたのではと思われるケースも多数ある。双極性障害の患者さんの状況を知るために、その奥さんに事情を聞いていたところ、「『お前が病院に連れて行ったから病気が重くなった』と本人にさんざん責められてどうしたら良いか分からなくなっていた」と涙ながらに私に話してくれたことがあり、本人のみならず家族に対するメンタルケアの重要性に改めて気付かされたことがある。

「自分」の状態がよく分からないこのような事情を踏まえれば、かかり始めはもちろんのこと、かかってからも本人任せにせず、その支援者は適切な時機に医療機関を受診することの大切さが分かるものと思う。

4.今日の一針、明日の一針
今日縫えば一針で済むほころびも、放っておくと次第に大きくなって十針も縫わなければならなくなる。何事も処置が遅れると、あとで苦労することのたとえであるが、精神科治療においてもまったく同じことが言える。

認知症には、血管性認知症・正常圧水頭症・慢性硬膜下血腫・甲状腺機能低下症といった予防や治療が可能な認知症と、アルツハイマー型認知症・レビー小体型認知症・前頭側頭型認知症といった根本的な治療が困難な認知症の2別があるが、そのいずれも早期受診の重要性が叫ばれている。しかし実際はそうではない。物忘れ外来を受診したアルツハイマー型認知症358人を調査した川畑信也によると、その初診時のFAST分類をみると高度にあたるFAST6以上の患者が半数を占めており、実に多くの患者が認知症治療に抵抗する時期で来院していたという。

早期受診が大切なことは他の精神疾患についてもまったく同じである。しかし「精神科、行きたくないな」「間違っていたらどうしよう」などさまざまな理由により受診をためらわれることが多いと思う。しかし杞憂を恐れず、ふだんと少しでも様子が違っていたら、周囲の人は心配する・気にかける・関心をもっていただきたい。「ふつうじゃない」「ちょっと変だな」といった違和感を大切にすべきだと思う。

現在の病院(葛飾橋病院)に勤務して間もない頃、うつ病の患者さんが来院した。数回目の受診のとき、いつもと違って表情が暗く、口数も以前より少なく、何か考え込んでいるようだった。睡眠とか食欲とか尋ねても「以前と同じです、大丈夫です」というのだが、どうもそんな風に思えない。そこでいったん診察を終えたふりをして待合室に戻ってもらい、改めて「○○さんのことが心配でもう一度お話を聞きたくなりました」と口を切り、「死ぬことを考えていませんでしたか?」と尋ねてみると、「なぜ分かったんですか」と驚き、来院するまでの辛い思いを堰を切ったように話し出した。そして改めて「死なない」約束を交わし処方を調整し、帰宅してもらった。その患者さんは今でも私の外来に通っており、もう25年のうつ病の戦友でもある。

最後に支援者の方に。一人ですべてを抱え込もうとしないで欲しい。「心にゆとり」「笑顔のある生活」「頑張り過ぎない」「一人でしっかり立てて初めて支援」「何はともあれお金・体力・心」「行政・民間・家族会など使えるものはちゃっかり使おう」を心に刻んで楽しく患者さんを支援していただくことを願う。

引用文献(引用順)
1)保坂隆.厚生労働省老人保健事業推進費等補助金(老人保健健康増進事業分)介護者のうつ予防のための支援の在り方に関する研究.2006
2)湯原悦子.認知症介護における介護者のうつを考える.週刊医学界新聞 第2929号:6,2011
3)Bertolote JM et al. Suicide and psychiatric diagnosis: a worldwide perspective. World Psychiatry 1(3): 181-185, 2002
4)飛鳥井望.自殺の危険因子としての精神障害 -生命的危険性の高い企図手段をもちいた自殺失敗者の診断学的検討.精神神経誌 96:415-443,1994
5)木村真人.-急激な増加を示すうつ病・認知症の診療-プライマリケア医が担うべき役割とは.Medical Tribune 2012年5月24日 メンタルヘルス特集: 69, 2012
6)Grandner MA et al. Age and sleep disturbances among American men and women: data from the U.S. Behavioral Risk Factor Surveillance System. Sleep 35(3):395-406, 2012
7)川畑信也.物忘れ外来からみた高度アルツハイマー型認知症の実態と対策.高度アルツハイマー型認知症適応拡大記念 アリセプトTVシンポジウム.2009


マイナス成長社会をどう生きるか

これは、2016年11月16日、日本精神科医学会ランチョンセミナーで行われた講演の梗概である。

式場病院は、柳宗悦ら民芸運動家たちとの交流・画家ゴッホの精神病理学的研究・裸の大将「山下清」の発掘と支援など精神医学だけに留まらず、文化人として名高い式場隆三郎により、昭和11年に創立された病院である。演者は、昭和63年より葛飾橋病院へ勤務し、院内感染管理・医療安全管理委員会の創設はもとより、担当交替審査会といったユニークなシステムを構築し、近年では健康的で安心のある地域生活を支援する、地域生活支援サービス(Community Living Assistance and Support Services: CLASS)を開発推進した。

2015年2月、初の経営企画部長として式場病院へ赴任した。2008年、式場病院の平均在院数335名(99%)だったものが、2015年には305名(90%)へと右肩下がりの状況であった。都市近郊、広い敷地、「式場隆三郎」「バラ苑」といった地域における知名度といった長所がある一方、危機意識の欠如、未熟な企業統治、職員の高齢化、医者中心のヒエラルキー、後に述べる「滞在型」意識の蔓延といった深刻な短所があった。加えて、7つある病棟のそれぞれの機能が明確でなく、どれも似通った病棟となっていた。 精神科病院への脅威に目を向けると、日本の総人口1.28億人は2007年をピークに低下を続け、2050年には1.08億人へと減少する予測がある。人口千人当たりの現在の精神病床数は、日本は2.78床、欧米の平均をざっくりと1.0床と推計すると、2050年には日本の精神科必要病床数は9.8万床となり、現時点の70%が削減対象となりうる。

滞在型意識では、患者さんやご家族に対して「ずっといていいですよ」といった姿勢でいるため、退院への圧力は小さく、障害回復への期待は低くなる。退院支援能力の低下を来たし、病床の渋滞・高齢化・介護負担の増加といった問題を抱えることになる。 一方、通過型意識では、「半年で出ましょう」と目標が明らかな姿勢となるため、退院圧力は大きく、障害回復への期待は高く、その結果退院支援能力が強化される。よって病床の流れは良くなり、新規入院をより多く受け入れることが可能となる。 「滞在型から通過型へ」をkeywordに、医療サービス構造の変革を進めているが、病院全体に存在する変化への抵抗「心の慣性法則」は思いの外大きく、職員の意識改革をどう進めるかが大きな課題になっている。

統合失調症患者さんのアドヒアランスを高め、健康で安心のある地域生活の推進には、「適切な薬物療法」といった医者目線から、「患者さんにとって快適な薬物療法」(Comfortable medication Assisting Schizophrenic patients in Community: CASC)といった患者さん目線の治療戦略の普及が求められる。地域生活を支える薬物療法には、1)少ない副作用、2)適切な用量、3)単純な処方、の3つの原則がある。この原則を大いに満たす抗精神病薬は、アリピプラゾール、ブロナンセリン、パリペリドンやその持続注射剤(LAI)であり、これらの薬剤はドーパミン過感受性精神病や遅発性ジスキネジアの予防の点でも優れている。

持続性注射剤が十分周知されていない現状を踏まえ、共同意志決定(SDM)において、経口剤と持続性注射剤どちらかをまず選択していただく、統合失調症急性期における薬物治療アルゴリズムを考案した。本アルゴリズムは、CASCに相応しい抗精神病薬を、最大忍容量まで使用し最低4週間有用性を一剤ずつ確かめ適切な薬剤を決定する。対象は統合失調症急性期入院患者88名(男性35名、平均年齢48.4±14.5歳、入院時平均GAF 26.7±7.8)。一剤目で薬剤が決定したのは、全体の69名(78%)、二剤目までで決定したのは82名(94%)、三剤目までで87名(99%)。最後の一名を除いてすべて抗精神病薬単剤で症状が制御された。全体の68%が1か月未満で薬剤が決定され、71%が3か月未満で退院した。抗パーキンソン剤を含めた向精神薬の併用は、全体の62%が併用なし、28%が一剤の併用に過ぎなかった。7年半の観察終了時点において、同院へ通院60名、他院へ通院21名、入院中7名。同院通院中の再発者は5名だった。アリピプラゾールLAIはCASCの概念に合致した抗精神病薬の一つであり、統合失調症の地域移行支援に向け、有力な選択肢と考える。


微熱中年

これは、2016年、式場病院文集『こもれび』の巻頭言に寄せた拙文である。手間を掛けず文を膨らませるため、昔書いた歌集を入れ子にして投稿したところ、「これでは文集全部が巻頭言になってしまいます」と言われてしまい、「やっぱダメかぁ」と歌集部分の大半を割愛してようやく脱稿できたものである。

「聞き上手」になることはとても難しい。仕事の場面でも、プライベートの場面でも、ついつい喋り過ぎてる自分にふと気づき、その都度、「どうしてもっと相手の話を聞かなかったんだろう」とひたすら反省する。

優れた医師はおそらく喋らずとも患者が治っていくのであろう。しかし患者さんやそのご家族を理解させようと熱心に話している自分は、まだまだ平凡な医師なんであろう。言葉というものは、洗練されれば洗練されるほど、少ない言葉でより多くの効果を生むようになる。究極には何も話さず、豊穣な思想世界を相手に伝えることができるようになるのである。

日本は神道の国であり、森羅万象、この世にあるすべてに神が宿るという「八百万の神」を信じてきた。人間の発する言葉もその例に漏れず、『言霊』といって言葉さえも畏怖の対象としていた。そのため、日本中にあまねく存在した言霊『和歌』の編纂は天皇の大切な事業のひとつであり、古今和歌集を始め、多くの勅撰和歌集が作成された経緯がある。

「そういえば王朝文学に傾倒したおかしな現代歌人の歌集があったな」とふと思い出し、書棚にある本をひとつひとつ辿ってみた。

「あった!」

安っぽいコピー用紙を束ね、ちょうど今回原稿の依頼をされた『こもれび』のように緑色のテープで製本されていた歌集が見つかった。

 

きさみしもの 狩野 雅允

序文

この和歌集はかねてより(とはいっても2ヶ月ほど前からのことですが…)私淑している藤原定家先生に教えを請うために書かれたものであります。しかし、定家先生は八百年ほど前にこの世をお去りになられ、直接教えを請うことができないことが最近判明いたしました。たいへんに残念なことです。一度は反古にしてしまおうとも思ったのですが、捨てられる歌たちのことを思いやると、そのまま反古にしてしまうのはあまりに忍びない、定家先生なき今日、まことに恥ずかしいことではありますが皆人にお見せする次第となったのであります。(中略)

「この和歌集の狙いは、①王朝風であること、②艶であること、③斬新であること、④個性的であること、⑤物語性に富んでいること、です。いわば、平成の『伊勢物語』の和歌集とでも思っていただけたら幸いです。時代遅れである、甘美すぎる、などの批判を受けるかも知れませんが、甘美の程は先生が撰者をなさった『新古今和歌集』『小倉百人一首』の範囲内に収めたつもりです。それよりも、批判されるべきはむしろ、現代の歌壇の諧謔性、あるいは「褻」に片寄りすぎた退屈なリアリズムにあると思うのですが、先生はどう思われますか? ひょっとしたら、「それは君、勉強不足だよ。現代の歌人でもうまい詠み手はいるよ。」とも言われかねませんが…。最終的な狙いは、現代の歌壇で詠われなくなった伝統芸能『和歌』を復活させることです。いったい今の歌で色があり『百人一首』の歌として詠めるものがあるでしょうか。たいへん気負った発言に思われるかもしれませんが、それくらいの意気込みなくては、このような王朝風の和歌集をいまどき書こうとは思わないのではないでしょうか。『いとめでたし』と先生にいわれる作品をそろえてみました。(中略)

夢見つつ

物憂き眼 きさみしものは 乳香の
やさしき霧と あかね色の夢

(五十首のうち二十首は別に掲載)(中略)

あとがき

この短歌集は第46回角川短歌賞(平成十二年)に応募するために作られたものです。角川短歌賞に応募しようと思い立ったのが今年二月上旬。短歌を詠み始めてまだひと月足らずのことでした。短歌を詠み始めるきっかけははっきりと覚えていないのですが、おそらく小説のための修練にでもと安易に始めたのがきっかけだったと思います。けれども、当初の思惑とは異なり短歌の面白さに引きずり込まれ、挙げ句の果てには角川短歌賞にまで応募する気にもなったのは、ある意味ではうれしい誤算でした。と同時に、あまりにも無謀な試みでした。その理由はいうまでもなく、短歌にはまったく無知であったこと、身近に短歌の指導を受けられる環境になかったことです。けれども無知ならではの無謀さがこの短歌集に妖艶さや新鮮さにエネルギーを与えることができたのではないかと、今となっては自分の無知に感謝しています。(中略)

さて、角川短歌賞の結果が発表されるのは今年の秋。結果は気にしていないといえば嘘になりますが、心はすでに次回の作品に向いています。短歌集という売れない出版業界のお荷物をどうやって大衆にアピールするか、芸術性をどうやって維持するかといったこの二つの相反する問題をいかにクリアーすべきかが今、私の頭の上に大きくのしかかっております。どのような解答が出せるかは分かりません。けれども、この相反する問題をこの短歌集を作ったときと同じように、初参者ならではの爆発的なエネルギーで立ち向かっていこうと考えています。

二〇〇〇年 初夏 狩野 雅允 きさみしもの

二〇〇〇年 六月一日 第一刷発行

著者 狩野 雅允 発行者 狩野 雅允

 

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「中年にもなっていい大人が、どうも微熱に犯されていたみたいだな」

あれから十六年が経っている。今頃、どうしているんだろう。再び何かに取り付かれてバカなことをやっているに違いないだろう。そう思いつつ、手作り感のある歌集を書棚に戻した。


落ち着かない「こどもの日」

これは、2015年5月5日、晴れて研修医となった長女に、初めて御馳走になったことをfacebookへ投稿したものである。

言わずもがな、今日はこどもの日である。

これまでずっと、「こどもの日」はこどもの健やかな成長を願う日だと思っていたのだが、実はそれだけでもないことを初めて知った。

今年4月、晴れて研修医となった長女が、今日、妻と私を食事に招待してくれた。もちろん娘に食事を招待されるなんてことは初めてのことで、外食をすれば勘定書きはすべて私の懐から出ることがこれまでの常だった。松戸駅で娘と待ち合わせをして、3人で東京駅へ。連休に入ってからすでに初夏の様相を呈した街並みには、家族連れ、アベックなどゴールデンウイークを愉しむ人々が行き交っていた。

丸の内南口から歩くことわずか数分。長女が予約を入れたイタリアンレストランは、三菱ビルの一角にあり、一階部分はカフェ、二階部分がレストランとなっていた。すでに予約で一杯となっており、入口には「本日は予約のみ」と飛び込み客には寂しいフレーズが書かれていた。

前菜から始まり、サブ、メイン、そしてデザートと、どれも美しく、精妙に、洗練された食事が、これまた洗練された男性スタッフにより、つつがなく運ばれてくる。隣の席では、母への感謝を祝う宴が開かれ、透明なガラスの向こうの広い客席では、めいめいがそれぞれの時間を愉しんでいた。

そんなゆったりとした時間の中、なぜか落ち着かない僕は別のことをぼんやり考えていた。

この食事が、もし仮に吉野家の並み盛りの牛丼だったとしても、あるいは世界で一番高価な、一食2000ドルもするような料理だったとしても、今の自分のような、親としての、この落ち着きのない安堵感は変わるものだろうか? いや、きっと変わらないだろう。育ててくれた親への恩返しとしての、自分で稼いだお金(もの)で親にプレゼントするといった景色は、おそらく有史以前の時代からあったもので、初めての狩猟で魚一匹を親に渡すといった簡単なものだったかもしれない。けれども、受け取った親の想いは今と変わらないものだったろう。

25年、育ててきたさまざまな苦労(でもなかったが)が、ほんの一回の食事でチャラになるほどインパクトのある出来事であるに違いない。

いただいたプレゼントをお金に換算するのは、下世話なことではあるが、ちょっとした計算をしてみた。養育費は年収の一割が相場らしい。精神科勤務医の平均年収1200万、養育年数を25年とすると、1200万×25年×10%=3000万円。実際掛かった金額を考えるともっと掛かった気もしないでもない。にしても一回の食事でチャラになる事実を踏まえると、なるほど、一食3000万円の料理はそうあるものではないだろう。確かに高価だ!!

「こどもは国の宝」という言葉があるが、やはりそうかもしれない。

養育25年で自立した。そして65歳定年(将来はもっと長いかも)として、40年は稼げる。養育費が一割だとすると、2.5年で養育費は回収できるので、37.5年分の年収を利益として生む勘定となる。言うまでもなくその年収が投資した親のものになるわけではない。しかし消費+税金として社会に還元することは確かであり、言葉は悪いけれど、こどもは確実な投資になるのである。

では国がこどもに投資してビジネスとして成立するか否か。ちょっとした皮算用をさらにしてみた。養育年数を20年。そして65歳定年とする。所得税、住民税、消費税などざっくばらんにまとめて、年収の15%だとすると、勤務年数45年×15%=6.75年。養育費が一割だとすると2年。6.75 – 2 =4.75年。4.75年分の年収が国のふところに入ることになる!! さまざまな不確定要素やリスクはあるものの、ビジネスとしてはかなり手堅いものではないだろうか。

さらに世界からお金を集金する能力のある人材を育てれば、言うことはない。仮に世界からお金を回収する外需がなかったとしても、日本の資源に見合った人口の範囲内であれば内需だけでも維持可能な社会が形成されるのではないか。遊ぶこどもの姿を見かけることもなく、高齢者ばかりがたくさんの地方の寒々しい状況を鑑みると、「こどもは国の宝」という言葉の重みを改めて感じざるを得ない。

そんなことをぼんやりと空想に耽っているうちに、長女が勘定書きを手に取った。いつもなら帰り際にすっとそれを手に取って、レジに行くのに慣れた私は、どうも不自由で窮屈な思いでそれを眺めていた。「慣れないなぁ」ぽつりとつぶやいた。

そういえば「初任給を何に使いますか?」のアンケートの一位は、親に孝行するだったが、二位はというと。何もしない、だった。まさしく、24歳の僕がそうだった。

「こんど、親を食事に招待しよう」と自戒の念で、眩しい光がまだ残る初夏の街へ出た。


太陽の初日

これは、2015年12月23日、皆さまからいただいたお誕生日メッセージへの御礼としてfacebookに投稿したものである。

皆さん、お祝いの言葉、ありがとうございました。

今年は27年ぶりの転職に加え、経営企画部長へと役職と同時に業務が大幅に変わる大きな転機となりました。昭和11年、文化人としても著名な式場隆三郎氏によって創立された伝統ある式場病院において、経営企画部長という立場から、経営戦略の立案、遂行、課題解決などに多くの時間を費やし、その合間に診療をしているといったこれまでとはまったく異なった不思議な時間の使い方に翻弄され、ほんとあっという間の一年であったように思われます。

経営は人が動いてくれてなんぼのもんであり、新しい経営方針を職員にきちんと理解してもらい、こちらが最善であろうと考えた戦略通りにきちんと動いてもらうことが、一番重要だと思っています。そのため、毎月毎月、経営のイロハについて、私自身渉猟し、消化した知識を職員の皆さんにレクチャーを続けて来ました。

その中で最近、一番、心に残ったことは、「変わろうと思ったとき、新しいことを始めるのではなく、今までの何かをやめる」ということ。これはとても新鮮な発想でした。「流行の断捨離でしょ?」というツッコミもあろうかと思いますが、何かをやめることによって、変化が生まれる。この発想にどうして気づかなかったのかと、自分のバカさ加減に改めて気づかされました。

伝統のある企業もそうでない企業も、実はたくさんのムダな慣習を抱えています。ですが気づいても気づいていなくてもなぜかやめることなく延々と続けられている。それは個人についてもしかり。たくさんのムダな習慣を抱えて人は生きています。

今週の日曜日、かつての同僚のご家族と、今年産まれたばかりの男の子と昼食をともにしました。何を考えているのか憶測もさせない無邪気な赤ん坊を抱き、ただただ幸せな気分に浸らせてもらいました。

人は何も持たずに産まれて来ます。でもきっと幸せなんだろうと思います(もちろん分かりませんけど)。でも生きていくうちにたくさんのものを手に入れ、たくさんの経験をします。そしていつの間にか、自分の周りと自分の時間がたくさんのものによって囲まれてしまいます。有意義なものもあれば、そうでないものいもあるでしょう。

一方、人は土に帰るとき、何を持つことなく帰ります。つまり産まれて来たときと同じように、です。いざそのときが来たとき、自分は人生最大の幸せな気分で土に帰ることができるだろうか? どうしたら、そんな気分で土に帰ることができるだろうか、とふと考えたとき、結局、持っているものなんかではなく、どれだけ有意義なことをしてきたのか。そこに尽きるのかな、と思いました。

どんな歳になっても気づくことはたくさんあります。今年、一番、気づき、肝に銘じたことがひとつあります。それは、誰かの役に立つことを一生懸命しましょう、誰かが幸せになることを一生懸命しましょう、誰かが笑ってくれることを一生懸命しましょう、ってこと。これを自分の事業として時間を掛けてやっていけば、きっとものになる。そんな思いでこの一年、働いてきたように思います。

事業の効率を測る尺度として、ROEやROAというものがあるのですが、これは投下した自己資本や総資産がどれだけ効率よく収益を上げているかというもの。経営の観点からすれば、「人を幸せにする」事業に必要な資本は少なければ少ないほど効率がよいわけで、ムダが嫌いな私とすれば、投下する資本はなるたけ少なくしたい。で先ほどの男の赤ん坊のことを考えると、彼ほど資本効率の高い子はいないわけで、まさしく彼には完敗。だって資本ゼロであれだけみんなを幸せな気分にさせるわけですから。

12月23日。冬至の翌日であり、この日から昼の時間が伸び始めることから、僕は勝手にこの日を「太陽の初日」と呼んでいます。この日から、一日一日、何かを捨てること、止めることによって、自分にとって大切なものだけに囲まれてみようかと思っています。一年後には、今よりもずっと少ないものに囲まれて、でも誰かを幸せにする・自分が幸せになる、赤ん坊のような効率の良い人になれたら、と思います。

な~んて、考えているその横で、大量のふるさと納税で、お肉やお米で何かをもらおうとしている欲深な自分がいる。これだから人間を止められないんだよな。

長々と「太陽の初日」のご挨拶にお付き合いしてくださりありがとうございました。改めて、皆さんにとって良い一年であることをお祈りします。


エッジを効かせる

A birthday card from a patient and her familly
患者さまとご家族からいただいた誕生日カード

皆さま、お誕生日メッセージをどうもありがとうございました。私からは誰ひとりとして、誕生日メッセージを送っていなかったにもかかわらず、見捨てられることもなく、誕生日メッセージをいただけることは本当に幸せ者だと感じます。

式場病院へ転職してあと少しで2年になろうとしています。臨床のかたわら、病院経営のカイゼンに悪戦苦闘し、思うように成果が出ない砂を食むような毎日を送っています。しかし不思議なもので、どこの町にでもありそうな中華食堂ならとっくに潰れているだろうという台所事情でも、病院は生き延びている。きっとそんな温い業界事情だからこそ、医療業界は他の業界にくらべると、とんでもなく危機意識がなく、経営管理もお粗末なんだろうと思うこの頃です。

先日、ソフトブレーン・サービス株式会社が主催する、営業プロセスマネジメント大学の年間アワード発表会に参加しました。これまで属人的だったトップセールスマンの営業スキルを、誰にでも習得できる営業プロセスへと昇華させ、再現性のある営業スキルを伝授するという研修をこの会社は行っており、そこで学んだ多彩な企業の中から、今年成果をあげた10社がアワードを受けプレゼンをしました。

「うちの会社は特別だから」「この業界は特別だから」といった言い訳をよく聞きますが、営業プロセスマネジメント大学で研修を受け、そして成果を出した数多くの企業の姿を見ると、それはやはり言い訳に過ぎないことを痛切に感じ、医療業界も他の業界とまったく同じものだと改めて認識させられました。

「うちの病院は重い患者が多いから」などと向精神薬の多剤大量療法が漫然と行われ、長期在院が平然と行われている事情も、結局は「心の慣性法則」にしたがって、変わろうとしない理由をただ口にしているようにしか思えないのは私だけでしょうか。

このような「心の慣性法則」による弊害は、精神科医師、精神科病院、医療業界だけでなく、社会全体に漫然とあり、これはヒトが生まれたときから現在までずっとあるように思います。「人類は進歩なんかしていない。なにが進歩だ。縄文土器の凄さを見ろ。皆で妥協する調和なんて卑しい」と「人類の進歩と調和」といった1970年万博のテーマを真っ向から否定した岡本太郎の慧眼には改めて驚かされます。

「裸の王様」というアンデルセンの有名な童話は皆さんご存知でしょう。子どものころ、この本を読んだ感想は、「どうしてあんな簡単なことが気づかないんだろう」と王さまはもとよりその取り巻きたちの気づかさなを不思議に思っていましたが、大人になってその意味を改めて考えてみると、渦中にいる、中心にいるとその理不尽さやおかしさ、非合理性に気づかない。そして傍から見るととんでもなくおかしいということは日常のようにあるんだよ。だから気をつけないといけないとアンデルセンの深い寓話性に感嘆させられます。

「エッジを効かせる」

本来の使い方とは違う使い方になりますが、どこか中心ではない、外れの位置から自分の業界を外観する。そして常に外の世界から新しい風を送る。これが私に期待されていることではないかと思う今日この頃です。

「科学と慈愛」という15歳のピカソによる衝撃的デビュー作があります。これから死なんとする患者の手を取る医師(科学の象徴)と、温かく見守る修道女と子ども(慈愛の象徴)が、患者をはさんで対比される構図を持っています。解釈は色々あるのでしょうが、おそらく当時は、新興する「科学」と、旧来の「宗教」の対立構造を意識したものではないかと思います。

しかし、私は対立ではなく、「慈愛」を具現する方法のひとつとして「科学」があるものだと思いますし、すべての企業の理念は、ユーザーへの「慈愛」を具現化するものであって欲しいと思います。ですから「科学」と「慈愛」は決して対立するものではなく、どちらも決して欠いてはならないものだと考えます。

私の誕生日の前日、患者さまとそのご家族からお誕生日カードをいただきました。その一節に、「毎日を無事に過ごせる事の幸せを日々感じております」というお母さまからの言葉があるのですが、「ほんのささやかな事だけれど、だけどとっても大切な事」を感じる心を持っていただけるように、患者さまやご家族と日々仕事をしたいものだと思います。

「ようやく子どものような絵が描けるようになった」というピカソ晩年の言葉がありますが、この言葉を胸に、「エッジの効いた」一年を過ごしてみたいと思います。


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